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317日に渡る人質生活を送って

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    彼らを忘れることなどできません
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    彼らの名前は
    アスラン、アリク、アンドレイ
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    フェルナンダ、フレッド
    ガリーナ、ガンヒルド
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    ハンス、インゲボルグ
    マッティ、ナタリヤ
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    ナンシー、シェリル
    ウスマン、ザレマ
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    名前はまだ続きます
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    あまりに多くの人たちの存在と
    彼らの人間性が
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    統計の一部になり
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    冷酷にも「安全保障上の事件」として
    片付けられました
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    私にとって 彼らは
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    人道支援家のコミュニティにおける同僚で
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    彼らが ちょっとした安らぎを
    もたらそうと尽力したのは
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    90年代のチェチェン紛争における
    被害者たちでした
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    彼らは看護師、事務方
    避難所の専門家で
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    パラリーガル、通訳者でした
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    自らの活動を理由に殺害され
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    残された家族に深い傷を残し
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    そうして彼らの物語は
    ほぼ忘れ去られたのです
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    これらの犯罪で罰を受けた者は
    誰一人としていません
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    私は彼らを忘れることができないのです
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    彼らは心の中に生き続け
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    その記憶こそが 私の日常に
    意義をもたらしてくれます
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    しかし同時に その記憶が
    私の頭に暗い影を落とします
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    人道支援家として
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    彼らは被害者の側に
    寄り添う道を選び
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    支援の手を差し伸べ
    安らぎと保護を与えたのです
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    ところが自分たちの保護が
    必要になったとき
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    誰も守ってはくれませんでした
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    最近の新聞の見出しを思い出してください
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    イラクやシリアの内戦で
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    支援活動家が捕らえられ
    人質として処刑されます
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    彼らはどんな人物で
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    なぜそこにいたのでしょうか?
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    何が彼らを駆り立てたのでしょうか?
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    なぜ私たちは このような犯罪に
    無関心になってしまったのでしょうか?
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    これが皆さんと考えたい
    今日のテーマです
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    彼らを覚えておく
    良い方法を見つけるべきです
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    そして彼らが命を犠牲にした
    重要な価値を知っておく必要もあります
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    さらに社会正義も求めることも必要です
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    1996年のことです
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    私は国連難民高等弁務官事務所から
    北コーサカスに赴任しました
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    もちろん多少の危険は承知していました
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    それまで5人の同僚が殺害され
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    3人は重傷を負い
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    7人が人質として捕らえれていました
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    ですから我々は用心していました
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    装甲車両を利用し
    おとりの車を使い
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    移動手段を頻繁に変え
    住居も変えました
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    あらゆる安全策を取ったわけです
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    しかし1998年1月の寒い冬の日に
    私の番がやってきました
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    ウラジカフカスの自分のアパートに
    護衛とともに戻ると
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    武装した男たちに囲まれました
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    男たちは護衛をつかんで床に倒し
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    私の目の前で彼を殴ると
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    縄でしばり どこかに連れて行きました
  • 3:06 - 3:10
    私は手錠と目隠しをされ
    膝をつくよう強要されると
  • 3:10 - 3:14
    銃に付けられたサプレッサーが
    私の首に押し当てられました
  • 3:14 - 3:16
    このような状況のときは
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    思考は停止し 祈っている暇もありません
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    脳裏では 自動的に
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    それまで歩んできた人生が
    走馬灯のように駆け巡りました
  • 3:27 - 3:30
    マスク姿の男たちの目的は
  • 3:30 - 3:33
    私の殺害ではないということを
    理解するのに 時間を要しましたが
  • 3:33 - 3:37
    誰かがどこかで
    私の誘拐を指示したわけです
  • 3:39 - 3:43
    その日から人間性を喪失する
    プロセスが始まりました
  • 3:43 - 3:47
    私はモノのように扱われました
  • 3:49 - 3:51
    普段は この話をしませんが
  • 3:51 - 3:56
    317日に渡る人質生活について
    共有したいと思います
  • 3:57 - 4:00
    私は地下の独房に打ち込まれました
  • 4:00 - 4:02
    完全なる暗闇が
  • 4:02 - 4:05
    23時間45分 毎日続きます
  • 4:05 - 4:09
    そして護衛が
    通常2人やって来るのです
  • 4:09 - 4:11
    彼らが手にするのは
    大きな一切れのパンと
  • 4:11 - 4:14
    スープとロウソクです
  • 4:15 - 4:19
    このロウソクが15分間 燃えあがります
  • 4:19 - 4:23
    貴重な光は15分間続きますが
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    彼らが取り上げると
    辺りは暗闇に包まれます
  • 4:29 - 4:33
    私は金属製のケーブルでベッドに
    つながれた状態でした
  • 4:33 - 4:36
    わずか4歩しか歩けず
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    いつも5歩目を夢見ていました
  • 4:41 - 4:45
    テレビもラジオもなければ
    新聞や話しかける相手もいませんでした
  • 4:45 - 4:49
    タオルや石けん
    トイレットペーパーもありません
  • 4:49 - 4:55
    蓋のない金属製の2つバケツは
    1つは飲み水用で もう1つは排泄用でした
  • 4:58 - 5:03
    信じがたいことに 護衛たちにとって
    サディスティックな気分になったり
  • 5:03 - 5:08
    お酒が入ったときに
    模擬処刑が気晴らしになるのです
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    ゆっくりと神経が磨り減っていきました
  • 5:13 - 5:18
    中でも孤独感と暗闇が
    筆舌に尽くしがたい状況でした
  • 5:18 - 5:20
    「無」を形容することはできないでしょう?
  • 5:20 - 5:23
    私が正気と狂気のはざまで感じた
  • 5:23 - 5:28
    深遠な孤独感は言葉にできません
  • 5:30 - 5:35
    暗闇の中では 空想をめぐらせ
    チェッカーで遊んだものです
  • 5:35 - 5:38
    私は黒のコマから始めて
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    次は白のコマ
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    黒のコマに戻って
    対戦相手を欺こうとします
  • 5:43 - 5:47
    今ではチェッカーをやることはありません
  • 5:47 - 5:53
    私の家族や同僚
    護衛のエディクを思うと心が痛みました
  • 5:53 - 5:56
    彼の身に何が起こったのか
    知る由もありませんでした
  • 5:56 - 5:58
    悪いことを考えまいとしながら
  • 5:58 - 6:00
    時間をあてたのが
  • 6:00 - 6:04
    その場でできる
    ありとあらゆるエクササイズでした
  • 6:04 - 6:08
    祈りもささげましたし 考えられる
    記憶力ゲームもやりました
  • 6:09 - 6:13
    暗闇が生み出すものには
    異様なイメージや考えもあります
  • 6:13 - 6:20
    片方では抵抗したり声を荒げたり
    泣き出したい自分がいて
  • 6:20 - 6:23
    他方では じっと押し黙って
    やり過ごすよう
  • 6:23 - 6:26
    言い聞かせる自分がいるのです
  • 6:26 - 6:30
    絶え間ない内なる葛藤ですから
    仲裁してくれる人などいません
  • 6:31 - 6:36
    あるときは護衛が攻撃的に
    近づいて来て
  • 6:36 - 6:40
    「今日は膝をついて食べ物を乞うんだ」
    と言いました
  • 6:40 - 6:44
    私は気分が悪かったので
    彼を侮辱しました
  • 6:44 - 6:47
    彼のお母さんや
    先祖をも罵りました
  • 6:47 - 6:51
    その結果は大したことはありません
    排泄用のバケツに食べ物を投げ込まれました
  • 6:51 - 6:55
    翌日 同じ男が現れて
    同じ要求をしました
  • 6:55 - 6:57
    同じ答えが返ってくると
  • 6:57 - 7:02
    結果は同じでした
  • 7:02 - 7:05
    4日後のことです
    体中に激痛が走りました
  • 7:05 - 7:10
    空腹によって あれほどの痛みが起きるとは
    知りませんでした
  • 7:10 - 7:13
    そして次に護衛が来ると
  • 7:16 - 7:19
    私はひざまずいて
  • 7:19 - 7:22
    食べ物を乞うたのでした
  • 7:22 - 7:28
    ロウソクのためには
    従うことが唯一の方法だったのです
  • 7:29 - 7:31
    誘拐された後
  • 7:31 - 7:34
    北オセチアからチェチェンに移されました
  • 7:34 - 7:39
    トラックと違う車を乗り継いだ
    3日間に渡る長旅の後
  • 7:39 - 7:41
    現地に到着すると
  • 7:41 - 7:45
    ルスラーンという男に
    11日間 尋問されました
  • 7:45 - 7:46
    やり方はいつも同じです
  • 7:46 - 7:49
    少し長めの 45分間の光がありました
  • 7:49 - 7:51
    ルスラーンが地下の独房に来ると
  • 7:51 - 7:54
    私をイスに縛るよう
    護衛に指示します
  • 7:54 - 7:56
    そして大音量の音楽をかけると
  • 7:56 - 8:00
    大声で尋問が始まります
  • 8:00 - 8:02
    叫んだり 殴ったりするのです
  • 8:02 - 8:04
    これ以上の詳細は避けましょう
  • 8:04 - 8:07
    ほとんどの尋問内容が
    私には理解できませんでした
  • 8:07 - 8:11
    いくつかの質問は
    理解したくないものもありました
  • 8:12 - 8:16
    尋問時間は部屋に流れている
    テープと同じ時間でした
  • 8:16 - 8:20
    15曲 45分間です
  • 8:20 - 8:22
    いつも最後の曲を
    心待ちにしたものです
  • 8:23 - 8:26
    ある日の夜 独房にいると
    よく分からなかったのですが
  • 8:26 - 8:29
    頭上で子供の泣き声が聞こえました
  • 8:29 - 8:32
    男の子で 年は2~3才でしょうか
  • 8:32 - 8:36
    足音や ざわめき
    人の走る音が聞こえます
  • 8:37 - 8:40
    ルスーランが翌日やって来ると
  • 8:40 - 8:42
    彼が尋問を始める前に
    私が口を開きました
  • 8:42 - 8:46
    「息子さんの調子はどうだい?
    元気になったかい?」
  • 8:46 - 8:49
    ルスラーンは不意打ちを食らいました
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    彼は護衛が私生活について
    漏らしたに違いないと
  • 8:52 - 8:54
    怒り出しました
  • 8:54 - 8:59
    私はNGOが現地の病院に支給している薬が
  • 8:59 - 9:02
    君の息子に役立つかもしれないよと
    話し続けました
  • 9:02 - 9:06
    そして私たちは教育や家族について
    話し出しました
  • 9:06 - 9:08
    彼の子供達についても話してくれました
  • 9:08 - 9:10
    私は娘たちについて話しました
  • 9:10 - 9:13
    すると彼は銃や車
    女性について話すので
  • 9:13 - 9:18
    私も銃や車
    女性について話しました
  • 9:18 - 9:21
    そんな風に最後の曲が終わるまで
    話したのです
  • 9:21 - 9:27
    ルスーランは私が知っている中でも
    最も残忍な男でしたが
  • 9:27 - 9:30
    それ以来 私に触れもしなければ
  • 9:30 - 9:33
    尋問することもありませんでした
  • 9:33 - 9:37
    私は「モノ」ではなくなったのです
  • 9:37 - 9:42
    2日後のことです
    私は別の場所に移されました
  • 9:42 - 9:47
    そこで1人の護衛が近づいてきて
    ―これは非常に珍しいことです―
  • 9:47 - 9:50
    とても優しい声で こう言いました
  • 9:50 - 9:53
    「貴方にお礼が言いたいんだ
  • 9:53 - 9:57
    家族とダゲスタン近くに
    避難していたときに
  • 9:57 - 10:01
    君の団体が助けてくれたんだ」
  • 10:02 - 10:06
    一体 何と答えれば良いんでしょう?
  • 10:06 - 10:11
    心が痛みました
    刃物で腹を刺されたような気分でした
  • 10:11 - 10:14
    あの家族と未来の兵士となる
  • 10:14 - 10:17
    あの男を支援した
    正当な理由を探し出そうと
  • 10:17 - 10:20
    数週間 頭を抱えたのです
  • 10:20 - 10:22
    彼は若く シャイな青年で
  • 10:22 - 10:25
    私は顔も見ていません
  • 10:25 - 10:27
    おそらく本当に感謝していたんでしょう
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    でも あの15秒によって
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    私たちがしてきた支援や
    犠牲にしてきたものについて
  • 10:33 - 10:36
    自問するようになりました
  • 10:36 - 10:39
    彼らが私たちをどんな目で
    見ているかについても考えさせました
  • 10:39 - 10:42
    支援団体がそこにいる理由や
    何をやっているか
  • 10:42 - 10:45
    当然分かっているものと考えていました
  • 10:45 - 10:48
    それが違うことが分かったのです
  • 10:48 - 10:52
    私たちが手を差し伸べる理由を
    説明することは容易ではありません
  • 10:52 - 10:54
    近しい家族にさえも難しいのです
  • 10:55 - 10:58
    私たちは完璧でなければ
    優れているわけでもありません
  • 10:58 - 11:01
    世界の火消し役でもなければ
  • 11:01 - 11:03
    英雄でもありません
  • 11:03 - 11:05
    私たちは戦争を止めません
  • 11:05 - 11:10
    そして人道支援が政治的解決に
    ならないことも知っています
  • 11:10 - 11:15
    それでも支援をするのは
    1人の命が大切だからです
  • 11:15 - 11:17
    時には 世界を変えるためにできることが
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    1つの命や家族
    小さな集団を救うことで
  • 11:20 - 11:22
    それが大切だからです
  • 11:22 - 11:25
    津波や地震
    台風が起きると
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    世界中から救助隊が駆けつけて
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    何週間もかけて生存者を探します
  • 11:32 - 11:35
    なぜでしょう?
    これは誰も疑問視しません
  • 11:35 - 11:37
    すべての命が大事だからです
  • 11:37 - 11:41
    すべての命が大切にされるべきです
  • 11:41 - 11:44
    我々が難民を支援するのも
    同じ理由です
  • 11:44 - 11:49
    紛争による国内避難民や
    国籍をもたない人たちで
  • 11:50 - 11:51
    多くの人々が
  • 11:51 - 11:54
    計り知れない苦境に立たされると
  • 11:54 - 11:58
    無力さを感じ 立ち止まってしまいます
  • 11:58 - 12:02
    残念なことです
    彼らを支援できる方法が沢山あるのに
  • 12:02 - 12:04
    その思いを顧みません
  • 12:04 - 12:07
    私たちがやっているのは
    支援や保護や安らぎを
  • 12:07 - 12:09
    できる限り与えることです
  • 12:09 - 12:11
    それが義務だからです
  • 12:11 - 12:13
    さもなければできないことです
  • 12:13 - 12:18
    これが人を人たらしめるもの
    そう感じさせるからです
  • 12:18 - 12:22
    これは私が解放された日の写真です
  • 12:22 - 12:27
    解放されてから数ヶ月後
    当時のフランスの首相にお会いしました
  • 12:27 - 12:29
    二言目に言われたのは
  • 12:29 - 12:32
    「北コーサカスに行くなんて
    無責任もいいところだよ
  • 12:32 - 12:36
    君が作り出したあらゆる問題に
    対処しなければいけないんだから」と
  • 12:38 - 12:40
    あっという間の会合でした
  • 12:40 - 12:42
    (笑)
  • 12:43 - 12:47
    私は危機に瀕している人たちを
    助けることは責任ある行為だと思います
  • 12:47 - 12:52
    誰一人として真剣に阻止しなかった
    あの内戦や
  • 12:52 - 12:54
    今日にも見られる同じような状況下で
  • 12:54 - 12:59
    現地の人々が必要とする支援や
    最低限の保護をすることは
  • 12:59 - 13:01
    人間性の表れというだけではなく
  • 13:01 - 13:03
    彼らに大きな変化をもたらしているのです
  • 13:03 - 13:07
    なぜ首相にはこれが理解できなかったのでしょう?
  • 13:07 - 13:09
    私たちには手を伸ばす
    責任があります
  • 13:09 - 13:12
    皆さん耳にされたことがあるでしょう
    「保護する責任」です
  • 13:12 - 13:17
    支援の成果とは
    さまざまな尺度で測ります
  • 13:17 - 13:20
    失敗することもあるでしょう
    でも敗北よりも最悪なのが
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    できる時に それをしないことです
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    もし こんな風に考えるようになって
    支援に関わるような仕事につけば
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    人生は たくさんの喜びと悲しみで
    満たされることでしょう
  • 13:33 - 13:36
    なぜなら私たちが
    救うことができない人たちは沢山いて
  • 13:36 - 13:40
    保護できない人や 命を救うことも
    できない人たちが沢山いるからです
  • 13:40 - 13:42
    私は彼らをゴーストと呼び
  • 13:42 - 13:45
    身近で彼らの苦悩を目撃することで
  • 13:45 - 13:49
    その一部を自分の一部として
    受け止めます
  • 13:49 - 13:52
    多くの若い人道支援家は
  • 13:52 - 13:55
    最初に 苦い経験を
    沢山することになります
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    現地に放り出されて
    目撃者になりますが
  • 13:58 - 14:01
    変革を起こすには あまりにも無力です
  • 14:01 - 14:04
    まずは状況を受け入れて
  • 14:04 - 14:07
    徐々に前向きなエネルギーに変えてく方法を
    見出す必要があります
  • 14:07 - 14:08
    簡単ではありません
  • 14:08 - 14:11
    上手くできない人が大勢いますが
  • 14:11 - 14:15
    上手く対処できれば
    これほど素晴らしい仕事はないでしょう
  • 14:15 - 14:19
    日々生み出す変化を
    目にすることができるのですから
  • 14:20 - 14:25
    人道支援家たちは
    紛争地域であれ 紛争後の地域であれ
  • 14:25 - 14:28
    その危険性を理解しています
  • 14:28 - 14:34
    それでも私たちの生活や生業が
    ますます危険に脅かされています
  • 14:34 - 14:38
    しかも人道支援という聖域も
    失われています
  • 14:39 - 14:42
    皆さんは21世紀になってから
  • 14:42 - 14:46
    人道支援家が襲われるケースが3倍も
    増加していることをご存知でしょうか?
  • 14:47 - 14:50
    2013年には新記録を打ち出しました
  • 14:51 - 14:54
    155人の同僚が殺害され
  • 14:54 - 14:58
    171人が重傷を負い
  • 14:58 - 15:01
    134人が誘拐されました
  • 15:01 - 15:05
    多くの方が心を痛めました
  • 15:05 - 15:10
    80年代後半に起きた
    ソマリアでの内戦が始まるまで
  • 15:10 - 15:14
    人道支援家たちは
    巻き添え被害者と
  • 15:14 - 15:16
    呼ばれる被害者でしたが
  • 15:16 - 15:20
    概して攻撃の対象では
    ありませんでした
  • 15:20 - 15:22
    これが変容しているのです
  • 15:22 - 15:23
    この写真をご覧ください
  • 15:23 - 15:26
    2003年8月 バグダッドで
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    24人の同僚が殺害されました
  • 15:29 - 15:34
    青地の国連旗や赤十字マークが
    当たり前のように職員を守ってくれた時代は
  • 15:34 - 15:36
    終わったのです
  • 15:36 - 15:39
    犯罪グループや
    いくつかの政治グループが
  • 15:39 - 15:42
    過去20年間にわたって
    相互に関与することで
  • 15:42 - 15:45
    私たち支援団体とは
    対話すらできないような
  • 15:45 - 15:48
    ハイブリッドのようなグループを
    作り出したのです
  • 15:48 - 15:53
    人道主義の原則が試され
    疑問視され しばしば無視されますが
  • 15:53 - 15:58
    もっと重要なことは正義を求めることを
    諦めてはいないでしょうか
  • 15:58 - 16:02
    人道支援家を攻撃することに
  • 16:02 - 16:05
    何の利益があると言うのでしょうか
  • 16:05 - 16:09
    私が解放された際に言われたのは
    どんな形であれ報復は考えるな でした
  • 16:09 - 16:13
    良いことなんて何もないぞと
    言われたのです
  • 16:13 - 16:17
    他の同僚も危険にさらすことになるぞ と
  • 16:18 - 16:21
    私の誘拐に関わった3人の関係者を
  • 16:21 - 16:25
    裁くのに3年という歳月がかかりましたが
  • 16:25 - 16:28
    これは例外でした
  • 16:28 - 16:32
    チェチェン共和国において
    1995年から1999年の間に
  • 16:32 - 16:37
    殺されたり誘拐された他の同僚については
    誰にも処罰が下されていないのです
  • 16:37 - 16:39
    世界中の別の地域についても
    同じことが言えます
  • 16:40 - 16:43
    受け入れがたいことで
  • 16:43 - 16:44
    許されざることです
  • 16:44 - 16:49
    人道支援家に対する攻撃は
    国際法で戦争犯罪にあたります
  • 16:49 - 16:52
    この犯罪に処罰を下すべきです
  • 16:52 - 16:55
    お咎めなしのサイクルを
    断ち切らなければなりません
  • 16:55 - 17:00
    私たちは人道支援家に対する攻撃を
    我々の人間性そのものに対する
  • 17:00 - 17:02
    脅威だと考えるべきなのです
  • 17:02 - 17:06
    これが私が憤慨する理由です
  • 17:06 - 17:11
    私が支援している難民に比べれば
    自分が恵まれていることは承知してます
  • 17:12 - 17:16
    自分が生まれ育った街が破壊される姿を
    見る気持ちは分かりません
  • 17:16 - 17:20
    自分の家族が目の前で
    銃殺される気持ちも分かりません
  • 17:20 - 17:24
    自国から保護されない気持ちも
    分かりません
  • 17:24 - 17:29
    そして他の人質に比べれば
    私がどれだけ恵まれていたか分かっています
  • 17:29 - 17:34
    私が解放された4日前に
    4人の人質が打ち首になりました
  • 17:34 - 17:39
    私が捕らえられていた場所から
    数キロ離れた場所です
  • 17:39 - 17:41
    なぜ彼らが犠牲になったのか?
  • 17:41 - 17:44
    なぜ私は生き延びたのか?
  • 17:45 - 17:48
    答えは簡単ではありません
  • 17:48 - 17:52
    それから私は沢山の支援を
    受け取りました
  • 17:52 - 17:56
    家族や同僚や友人
    会ったこともない人たちからです
  • 17:56 - 17:59
    暗闇の中にいた私に
    長きに渡って手を差し伸べてくれました
  • 18:00 - 18:04
    誰もが同じような援助を
    受けられるわけではありません
  • 18:04 - 18:09
    心に傷を負う出来事を体験した
    数多くの同僚が
  • 18:09 - 18:11
    自ら命を絶ちました
  • 18:11 - 18:15
    個人的に知っている方でも9人います
  • 18:15 - 18:19
    トラウマを体験した数多くの同僚が
  • 18:19 - 18:21
    つらい離婚を経験しました
  • 18:21 - 18:26
    配偶者に何も説明できなくなったからです
  • 18:26 - 18:29
    その数は数え切れません
  • 18:29 - 18:32
    私たちのような職業には
    犠牲が伴うのです
  • 18:32 - 18:37
    ロシアでは全ての戦争記念碑の上に
    美しい文字が彫られています
  • 18:37 - 18:41
    それは(ロシア語)
  • 18:41 - 18:44
    「誰も忘れられていない
    何も忘れられていない」
  • 18:45 - 18:49
    私は命を落とした同僚を忘れません
  • 18:49 - 18:51
    何も忘れられないのです
  • 18:51 - 18:54
    皆さんには彼らの献身を
    覚えておいていただきたいのです
  • 18:54 - 18:58
    そして世界中にいる
    人道支援家たちを
  • 18:58 - 19:00
    守りましょう
  • 19:00 - 19:06
    消されようとしている
    あの希望の光を消してはいけません
  • 19:06 - 19:10
    あの苦しい体験の後 同僚たちから
    「なぜ今の仕事を続けるのか?
  • 19:10 - 19:13
    なぜこのような職業につくのか?
  • 19:13 - 19:15
    なぜあの場所に戻るのか?」と聞かれます
  • 19:15 - 19:18
    私の答えはシンプルです
  • 19:18 - 19:21
    もし私がやめれば
  • 19:21 - 19:25
    私の誘拐が奏功したことになるからです
  • 19:25 - 19:27
    彼らは私の魂も人間性も
  • 19:27 - 19:29
    奪えなかったのです
  • 19:29 - 19:32
    ありがとうございました
  • 19:32 - 19:34
    (拍手)
Title:
317日に渡る人質生活を送って
Speaker:
ヴィンセント・クシュテル
Description:

チェチェン共和国の国連高等弁務官事務所で働いていた1998年、ヴィンセント・クシュテルは317日間人質として捕らわれました。地下の独房という暗闇に住まうことの恐怖やベッドに繋がれた体験から誘拐犯との予期しなかった会話まで、自身の体験を公の場で初めて語ります。叙情的でパワフルな語り口で、現在まで同じ仕事を続けている理由を教えてくれます。2000年以降、人道支援活動家に対する攻撃は3倍にも増加しています。クシュテルがこれが世界に何を警告しているのか考えさせてくれます。

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Video Language:
English
Team:
closed TED
Project:
TEDTalks
Duration:
19:47

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