Return to Video

気難しい父親の息子として|コリン・グラント|TEDxBrighton

  • 0:06 - 0:07
    この写真には
  • 0:07 - 0:10
    私が何年も暗殺を企てた男が
  • 0:10 - 0:12
    写っています
  • 0:13 - 0:15
    私の父―
  • 0:17 - 0:20
    クリントン・ジョージ “バガイ” グラントです
  • 0:20 - 0:23
    父が “バガイ (袋)” と呼ばれたのは
  • 0:23 - 0:26
    常に目元の涙袋がたるんでいたからです
  • 0:27 - 0:29
    10歳だった私は 兄妹と一緒に
  • 0:30 - 0:33
    ハエ取り紙から毒をこそげ取って
  • 0:34 - 0:37
    父のコーヒーに混ぜたり
  • 0:37 - 0:40
    ガラスを砕いて
  • 0:40 - 0:42
    父の朝食にかけたり
  • 0:43 - 0:45
    階段のカーペットを緩めておいて
  • 0:45 - 0:47
    父が滑って首を折らないかと
    思い巡らしていました
  • 0:48 - 0:50
    しかし そうはうまくいかず
    父はいつでも
  • 0:50 - 0:52
    カーペットの緩んだ段をとばして歩き
  • 0:52 - 0:54
    コーヒーも朝食も満足にとらずに
  • 0:54 - 0:56
    背中を丸めて
  • 0:56 - 0:58
    出かけて行くのでした
  • 0:58 - 0:59
    何年もの間
  • 0:59 - 1:02
    私は自分が殺す機会を逸しているうちに
  • 1:02 - 1:04
    父が死ぬのではないかと恐れたものです
  • 1:04 - 1:08
    (笑)
  • 1:08 - 1:11
    母が父に家から出ていってほしいと
  • 1:12 - 1:13
    告げるまで
  • 1:13 - 1:16
    バガイは恐ろしい怪物でした
  • 1:17 - 1:20
    父は常に怒りを爆発させる寸前の状態でした
  • 1:20 - 1:23
    ご覧のとおり 私のような感じです
  • 1:25 - 1:27
    父はルートンのヴォクソール・モータースで
    夜間勤務をしていたので
  • 1:27 - 1:31
    家の中が完全に静かであることを求めました
  • 1:31 - 1:33
    ですから 私たちは午後3時半に
  • 1:33 - 1:35
    学校から帰ると テレビのそばに
  • 1:35 - 1:39
    寄り合って さながら金庫破りのように
  • 1:39 - 1:41
    テレビのボリュームを回して
  • 1:41 - 1:43
    ほとんど聞こえないくらいの
    音量に合わせたものです
  • 1:44 - 1:47
    時には 家の中で
  • 1:47 - 1:49
    「シーッ」と声を潜めてばかりいたので
  • 1:49 - 1:50
    「シーッ」と声を潜めてばかりいたので
  • 1:50 - 1:53
    その様子は まるで
  • 1:53 - 1:56
    ドイツ軍兵士がUボートで
  • 1:56 - 1:58
    こっそりと海面に近づいていくようだと
  • 1:58 - 2:01
    思っていました
    一方 その上の水面には
  • 2:01 - 2:04
    英国海軍軍艦のバガイ号が
  • 2:04 - 2:06
    静寂を乱す者に
  • 2:06 - 2:09
    爆雷を落とすべく
    待ち構えているのです
  • 2:10 - 2:13
    これが教えてくれた教訓は
  • 2:13 - 2:15
    「家でも外でも
  • 2:15 - 2:17
    人目を引くようなことをするな」
    というものでした
  • 2:17 - 2:20
    これは あるいは移民であるがゆえの
    教訓であったかもしれません
  • 2:20 - 2:22
    私たちはレーダーの監視下に置かれており
  • 2:22 - 2:24
    コミュニケーションらしいものは
  • 2:24 - 2:28
    バガイと私たちの間に
    まるでありませんでした
  • 2:28 - 2:30
    私たちが心待ちにしていた音はというと―
  • 2:30 - 2:32
    あなた方が子供の頃は
  • 2:32 - 2:35
    父親が帰ってくるのが嬉しくて
  • 2:35 - 2:37
    ドアが開く音を待ちかねていたことでしょう
  • 2:37 - 2:39
    私たちが楽しみにしていた音は
  • 2:39 - 2:41
    ドアがかちっと閉まる音でした
  • 2:41 - 2:44
    バガイは出て行って
    もう帰ってこないのだとわかる音です
  • 2:45 - 2:48
    30年の間
  • 2:48 - 2:51
    私と父が互いを目にすることは
    ありませんでした
  • 2:51 - 2:53
    30年間 互いに話すことも
    ありませんでしたが
  • 2:53 - 2:56
    数年前 私は
  • 2:56 - 2:59
    彼に目を向けることを決めました
  • 2:59 - 3:00
    「お前は見られているんだ
  • 3:00 - 3:02
    本当に
  • 3:02 - 3:04
    見られているんだぞ」
  • 3:05 - 3:08
    これは父が 私たち子供に
    言い聞かせていた呪文でした
  • 3:08 - 3:10
    何度も何度も聞かされました
  • 3:10 - 3:12
    これは時代が1970年代で
    場所がルートンという
  • 3:12 - 3:14
    彼がヴォクソール・モータースに
    勤めていた街であり
  • 3:14 - 3:16
    彼がジャマイカ人だったからです
  • 3:16 - 3:17
    父が言いたかったのは
  • 3:17 - 3:19
    「ジャマイカ系移民の子供として
  • 3:19 - 3:21
    お前たちは その振る舞いと
  • 3:21 - 3:23
    ステレオタイプに当てはまるかどうかが
  • 3:23 - 3:26
    見られているんだ」ということでした
  • 3:26 - 3:29
    無責任で 仕事嫌いで
  • 3:29 - 3:31
    そのうち犯罪を犯すに違いない
    というものです
  • 3:31 - 3:33
    「お前たちは見られているんだから
  • 3:33 - 3:37
    彼らの期待を裏切ってやれ」というのです
  • 3:37 - 3:42
    その意味においては
    バガイとその友人は―
  • 3:42 - 3:43
    ほとんどがジャマイカ人でしたが―
  • 3:44 - 3:47
    ジャマイカ人として立派な印象を残しました
  • 3:47 - 3:50
    世間には自分の最も良い側面と
  • 3:50 - 3:52
    良い顔を見せろ というものです
  • 3:56 - 3:57
    40年代や50年代にやってきた
  • 3:57 - 3:59
    カリブ系の人々の
  • 3:59 - 4:01
    写真を見たことがあれば
  • 4:01 - 4:03
    多くの男性がトリルビー帽を
    かぶっていることに
  • 4:03 - 4:05
    気付いたでしょう
  • 4:05 - 4:08
    ジャマイカにはトリルビー帽をかぶる
    習慣はありません
  • 4:08 - 4:11
    この国にやってくる際に
    伝統を作り出したのです
  • 4:11 - 4:13
    彼らは自分たちが
    このように見られたいという姿を
  • 4:13 - 4:14
    投影したかったのです
  • 4:14 - 4:17
    そのために 彼らの見た目と
  • 4:17 - 4:19
    自ら名乗る名前が
  • 4:19 - 4:20
    彼らを定義づけました
  • 4:20 - 4:24
    バガイは髪がなく 目には涙袋がありました
  • 4:26 - 4:29
    “Tidy boots (きれいなブーツ)” は
    靴に気をつかいました
  • 4:30 - 4:33
    “Anxious (心配性)” は心配性でした
  • 4:33 - 4:35
    “Clock (時計)” は片方の腕が
    もう片方より長かったのです
  • 4:35 - 4:39
    (笑)
  • 4:39 - 4:43
    私の1番のお気に入りは
    “Summerwear (夏服)” と呼ばれた男です
  • 4:43 - 4:45
    “夏服” は60年代初頭に
  • 4:45 - 4:47
    ジャマイカからイングランドにやってくると
  • 4:47 - 4:49
    どんな天気であっても
    夏用の薄手のスーツを
  • 4:49 - 4:51
    着るといってきかなかったのです
  • 4:51 - 4:53
    彼らの人生を調査する間に
  • 4:53 - 4:56
    私は母に「“夏服” はどうなったの?」
    と尋ねました
  • 4:56 - 5:00
    母は「風邪をひいて死んでしまったわ」
    と言いました (笑)
  • 5:00 - 5:02
    しかし “夏服” のような男たちは
  • 5:02 - 5:04
    スタイルの重要性を教えてくれます
  • 5:04 - 5:06
    彼らはスタイルを強調したかもしれません
  • 5:06 - 5:08
    自分たちがあまり洗練されていないと
    思われていると
  • 5:08 - 5:10
    考えたためです
  • 5:10 - 5:13
    そして彼らはその世代の態度や不安を
  • 5:13 - 5:17
    私たち 次の世代に引き継ぎました
  • 5:17 - 5:19
    ですから 私が育った時代には
  • 5:19 - 5:21
    テレビのニュースやラジオで
  • 5:21 - 5:23
    黒人が犯罪を犯したという
  • 5:23 - 5:25
    ニュースがあれば―
  • 5:25 - 5:27
    ひったくり 殺人 強盗など―
  • 5:27 - 5:30
    私たちは両親と共にたじろいだのです
  • 5:30 - 5:33
    なぜなら 彼らが
    世間体を傷つけているからです
  • 5:33 - 5:35
    皆 自分を代表しているだけでなく
  • 5:35 - 5:38
    グループを代表しているのです
  • 5:39 - 5:44
    自分も もしかしたら同じような目で
  • 5:44 - 5:47
    見られるかもしれないということは
  • 5:47 - 5:49
    ある意味で 受け入れるのが恐ろしいことでした
  • 5:51 - 5:54
    ですから そのことに
    立ち向かわねばならなかったのです
  • 5:59 - 6:03
    私たちの父やその同僚の多くは
  • 6:03 - 6:07
    発信はしていても 受信することは
    ありませんでした
  • 6:07 - 6:10
    彼らは発信する能力はあっても
    受信はできなかったのです
  • 6:11 - 6:14
    私たちは沈黙するほかありませんでした
  • 6:15 - 6:17
    父が私たちに話して来るときは
  • 6:17 - 6:19
    説教であることが常でした
  • 6:24 - 6:26
    確かな信念にしがみついていたため
  • 6:26 - 6:28
    疑いが生まれれば
    台無しになってしまいます
  • 6:29 - 6:32
    私が家で仕事をして
  • 6:32 - 6:35
    1日中 書き物をしたあとに
    下の階に降りて行き
  • 6:36 - 6:41
    興奮して マーカス・ガーヴィーや
    ボブ・マーリーの話をすると
  • 6:41 - 6:43
    言葉が蝶のように次々と出てきます
  • 6:43 - 6:46
    私があまりにも興奮しているので
    子供たちは私を止めて
  • 6:46 - 6:49
    「お父さん 誰も興味ないよ」と言います
  • 6:49 - 6:52
    (笑)
  • 6:53 - 6:55
    でも 子供たちは
    本当は興味があるのです
  • 6:55 - 6:57
    行き会う時がくるのです
  • 6:57 - 6:59
    どうにかして 父親のもとに
    やってくる時がくるのです
  • 6:59 - 7:03
    子供たちはあなたが語る人生を通して
    自分たちの人生を形作ります
  • 7:03 - 7:07
    私が父や母の人生から学んだように
  • 7:07 - 7:09
    そしてバガイが その父親から学んだように
  • 7:09 - 7:11
    このことは 私が
  • 7:11 - 7:14
    父の人生を振り返るうちに
    はっきりとしてきました
  • 7:14 - 7:17
    そして ネイティブアメリカンが
  • 7:17 - 7:18
    よく言うように
  • 7:18 - 7:21
    「相手のモカシンを履いて歩かずに
  • 7:21 - 7:23
    相手を批判してはならない」のだと
    わかったのです
  • 7:23 - 7:25
    父の人生を掘り起こす中で
  • 7:25 - 7:27
    1970年代のイングランドにおける
  • 7:27 - 7:32
    カリブ系移民の生活を描くのは
    実に簡単でした
  • 7:32 - 7:35
    ボウルに入ったプラスチックの果物
  • 7:36 - 7:39
    ポリスチレンの天井
  • 7:39 - 7:42
    配達されたときについてきた
  • 7:42 - 7:45
    透明な覆いがかかったままのソファ
  • 7:45 - 7:47
    ですが もっと理解しがたいのは
  • 7:47 - 7:49
    異なる世代間の
  • 7:49 - 7:51
    感情のひだであり
  • 7:51 - 7:55
    老齢と共に知恵がつくという古いことわざは
  • 7:55 - 7:57
    真実ではないのです
  • 7:57 - 8:00
    老齢と共に訪れるのは
    世間体といううわべと
  • 8:00 - 8:03
    不快な真実といううわべです
  • 8:04 - 8:07
    真実であったのは 私の両親―
  • 8:07 - 8:09
    私の母と父はそのうわべと共にあり
  • 8:09 - 8:12
    国が私に授ける教育を
    信頼しなかったということです
  • 8:12 - 8:14
    私の発音をよく聞いてください
  • 8:14 - 8:18
    両親は私を私立の学校に入れると
    決めていましたが
  • 8:18 - 8:21
    父が働いていたのは
    ヴォクソール・モータースです
  • 8:21 - 8:24
    私立校の学費を払い
  • 8:24 - 8:27
    何人もの子供たちを食べさせるのは
    困難でした
  • 8:27 - 8:29
    私は学校の入学試験を受けに行き
  • 8:29 - 8:32
    父が神父さんに―
  • 8:32 - 8:34
    カトリック系の学校でした―
    こう言ったのを覚えています
  • 8:34 - 8:38
    息子には良い「ちょういく(教育)」を
    受けさせたいと
  • 8:38 - 8:41
    ですが 父は
  • 8:41 - 8:44
    蟯虫検査もパスしたことがなかったので
  • 8:44 - 8:47
    入学試験のことは気にも留めませんでした
  • 8:47 - 8:49
    私の学費を捻出するため
  • 8:49 - 8:52
    父は危ない仕事にも
    手を出さねばならず
  • 8:52 - 8:54
    父は私の学費のために
  • 8:54 - 8:58
    車のトランクから
    非合法な商品を売ったのです
  • 8:58 - 9:00
    これはさらに厄介な状況になりました
  • 9:00 - 9:03
    ちなみに これは父の車ではありません
  • 9:03 - 9:05
    父はそのような車を
    手に入れたいと望んでいましたが
  • 9:05 - 9:06
    父の車はボロボロのミニで
  • 9:06 - 9:11
    移民としてこの国にやってきた
    ジャマイカ人である父は
  • 9:11 - 9:13
    運転免許証がなく
  • 9:13 - 9:15
    車両保険や道路税や
    車検などもありませんでした
  • 9:15 - 9:18
    父は「運転の仕方を知っているのに
  • 9:18 - 9:21
    どうして国の認可が要ると言うのか?」
    と考えていたのです
  • 9:21 - 9:24
    しかし 警察に車を止められた時などは
    厄介なことになりました
  • 9:24 - 9:26
    そして実際私たちは
    よく警察に止められました
  • 9:26 - 9:28
    ところで 私も父の警官への対応には
  • 9:28 - 9:29
    感心していました
  • 9:29 - 9:32
    父はその警官をすぐさま昇進させたのです
  • 9:32 - 9:35
    つまり会話の中でブロッグス巡査を
  • 9:35 - 9:37
    警部補と呼び
  • 9:37 - 9:40
    そうすると 陽気に見逃してくれるのです
  • 9:40 - 9:42
    父はジャマイカで言うところの
  • 9:42 - 9:45
    「賢くやるためにバカなふりをする」というのを
    実践していたのです
  • 9:45 - 9:48
    しかし これは同時に
  • 9:48 - 9:51
    警官から父が軽く見られたり
  • 9:51 - 9:53
    見くびられるということでもあり
  • 9:53 - 9:56
    10歳の私にも それはわかりました
  • 9:56 - 9:58
    しかし 権威に対する
    相反する感情もあったのです
  • 9:58 - 10:00
    一方では
  • 10:00 - 10:01
    権威をばかにしていながら
  • 10:01 - 10:03
    もう一方では 権威に
  • 10:03 - 10:05
    従ってもいました
  • 10:05 - 10:07
    そして こうしたカリブ系の人々は
  • 10:07 - 10:10
    大仰なまでに権威に服従しており
  • 10:11 - 10:14
    これはある意味で とても目立ち
    とても奇妙でした
  • 10:14 - 10:17
    なぜなら移民というのはとても
    勇気のある人々だからです
  • 10:17 - 10:19
    彼らは祖国を離れるのですから
    私の両親は
  • 10:19 - 10:22
    ジャマイカを離れて 4千マイルも旅をして
  • 10:23 - 10:26
    その移動によって 子供じみてしまいました
  • 10:27 - 10:29
    引っ込み思案になり
  • 10:29 - 10:31
    そのせいか どういうわけか
  • 10:31 - 10:33
    自然の順序が反対になってしまいました
  • 10:33 - 10:35
    子供たちが両親の親のようになったのです
  • 10:36 - 10:40
    カリブ系の人々は5年計画で
    この国にやってきました
  • 10:40 - 10:43
    仕事をして お金を貯めたら
    戻るつもりでいたのです
  • 10:43 - 10:45
    しかし 5年のつもりが10年になり
    10年が15年になりました
  • 10:45 - 10:47
    そして気づかぬうちに
    壁紙を変えるようになり
  • 10:47 - 10:51
    ある時点で もうここに留まるのだと
    思うようになるのです
  • 10:51 - 10:54
    それでも 私の両親はどこかしら
  • 10:54 - 10:56
    一時的に滞在しているだけだ
    といったところがありましたが
  • 10:56 - 10:59
    私たち子供はそんな遊びは
    もう終わったと知っていました
  • 11:00 - 11:02
    私が思うに 両親が
  • 11:02 - 11:05
    思い描いていた人生の理想を
  • 11:08 - 11:10
    抱き続けるわけにはいかないだろうと
    感じていたのです
  • 11:10 - 11:12
    現実は ずっと異なっていました
  • 11:12 - 11:15
    そして それは私の教育という試みにおける
  • 11:15 - 11:16
    現実についてもそうでした
  • 11:16 - 11:19
    自ら始めておきながら
    父は途中で投げ出してしまいました
  • 11:19 - 11:22
    私の教育は母の手にゆだねられ
  • 11:22 - 11:25
    ジョージ・ラミングならこう言うでしょう
  • 11:25 - 11:28
    「私の父親役を務めたのは母であった」と
  • 11:30 - 11:33
    父が不在であっても
    例の呪文は健在でした
  • 11:33 - 11:35
    「お前は見られているんだぞ」と
  • 11:35 - 11:38
    しかし そこまでの用心深さは
    不安感へつながりかねません
  • 11:38 - 11:41
    実際に 何年も後になって
  • 11:41 - 11:43
    多くの若い黒人男性たちが
  • 11:43 - 11:45
    統合失調症の診断を受けている理由を
    調査していたときに―
  • 11:45 - 11:47
    実に平均の6倍もの多さなのですが―
  • 11:47 - 11:49
    精神科医の言葉を聞いても驚きませんでした
  • 11:49 - 11:53
    「黒人はパラノイアを刷り込まれている」
    と言うのです
  • 11:55 - 11:58
    父 バガイならこれを聞いて
    何と言うだろうかと思います
  • 11:59 - 12:02
    私にも10歳の息子がいたので
  • 12:02 - 12:04
    バガイに関心がわき
  • 12:04 - 12:06
    父を探すことにしました
  • 12:06 - 12:08
    父はルートンに戻っており
    82歳になっていました
  • 12:08 - 12:12
    私は30数年間 会っていませんでした
  • 12:12 - 12:15
    父がドアを開けると
  • 12:15 - 12:18
    そこにいたのは この背の小さな
    目に柔らかい笑みを浮かべた男性でした
  • 12:18 - 12:21
    父が微笑むのを見たことが
    それまでありませんでした
  • 12:21 - 12:24
    私は父の笑みにうろたえました
  • 12:24 - 12:27
    しかし 一緒に腰をかけて
    父はカリブ系の友人と一緒に
  • 12:27 - 12:29
    昔話をしていたところでした
  • 12:29 - 12:32
    父は私に目を向けました
  • 12:32 - 12:33
    父が私を見る目は まるで私が
  • 12:33 - 12:36
    現れたとき同様に 今にも
    消えてしまうんじゃないかといったようでした
  • 12:37 - 12:39
    それから友人の方を向き
    父はこう言いました
  • 12:39 - 12:41
    「この子と私は深い深い絆で結ばれているんだ―
  • 12:41 - 12:44
    それは深い絆でね」
  • 12:45 - 12:47
    でも私はそんな絆を
    感じたことはありませんでした
  • 12:47 - 12:49
    鼓動のようなものがあったにしても
    とても弱いか―
  • 12:49 - 12:50
    ほとんどなかったも同然でした
  • 12:52 - 12:54
    この再会の間中 私は
  • 12:54 - 12:58
    父の息子になるためのオーディションを
    受けているような気分でした
  • 12:59 - 13:00
    本が出版されると
  • 13:00 - 13:03
    全国各紙でいい書評をもらいましたが
  • 13:03 - 13:05
    ルートンで新聞と言えば
    ガーディアン紙ではありません
  • 13:05 - 13:08
    ルートン・ニューズ紙です
  • 13:08 - 13:11
    そして この本について
    ルートン・ニューズ紙が選んだ見出しは
  • 13:11 - 13:15
    「32年に及ぶ不和を癒やす一冊」でした
  • 13:17 - 13:20
    これは世代間の不和をも意味するのだと
  • 13:20 - 13:22
    私は理解しました
  • 13:22 - 13:26
    私のような人々と
    父の世代の人々との不和です
  • 13:26 - 13:28
    しかしカリブ系の生活には
  • 13:28 - 13:30
    回顧録や伝記といった伝統はありません
  • 13:30 - 13:34
    自らの私生活については
    公に語らないのが伝統なのです
  • 13:34 - 13:39
    しかし 私はこの見出しを
    喜んで受け入れましたし
  • 13:39 - 13:41
    実際に この本が
    かつては語られなかったようなことを
  • 13:41 - 13:44
    語るきっかけを生み出す
    可能性があると思いました
  • 13:45 - 13:48
    この本が世代間の差を
    埋めてくれるかもしれない―
  • 13:49 - 13:52
    この本が修理道具となってくるかもしれないと
    思ったのです
  • 13:52 - 13:55
    そして この本は私の父にとっては
  • 13:55 - 13:57
    子としての深い愛情を示す行為だと
  • 13:57 - 14:00
    受け取られるかもしれないと
    感じ始めました
  • 14:01 - 14:03
    なんと哀れな浅はかな考えでしょうか
  • 14:05 - 14:08
    バガイは自らの短所が公にさらされたことに
  • 14:08 - 14:11
    ひどく傷つきました
  • 14:12 - 14:14
    父は私の裏切りに傷つき
  • 14:14 - 14:17
    翌日 新聞社を訪れて
  • 14:17 - 14:19
    応酬する権利を要求しました
  • 14:19 - 14:21
    そして 見出しにこう出たのです
  • 14:21 - 14:23
    「バガイ反撃に出る」と
  • 14:24 - 14:26
    そして その記事は私の裏切りを
    鮮やかに切り捨てました
  • 14:26 - 14:29
    私は彼の息子などではなく
  • 14:29 - 14:31
    父は自らの肌の色によって
  • 14:31 - 14:34
    地を這うような生活を強いられたと考えており
    それを許すことができなかったのだといいます
  • 14:34 - 14:36
    彼は尊厳を取り戻さなければならず
    実際に取り戻しました
  • 14:36 - 14:39
    私は始めこそ がっかりしましたが
  • 14:39 - 14:41
    その立場を敬うようになりました
  • 14:41 - 14:44
    もう82歳でありながら 父の身体にはまだ
  • 14:44 - 14:47
    炎に沸き立つような血が流れていたのです
  • 14:47 - 14:50
    そして これが再び30年の沈黙へと
  • 14:50 - 14:53
    戻ることを意味しているのであれば
  • 14:53 - 14:57
    父ならこう言うでしょう
    「そういうものなら そうなんだろう」と
  • 14:59 - 15:02
    ジャマイカ人は 事実などというものはなく
  • 15:02 - 15:05
    様々な見解があるだけだと言うでしょう
  • 15:05 - 15:07
    私たちは自分が
  • 15:07 - 15:10
    一番信じたい見解に基づいた話を
    するだけのことなのです
  • 15:10 - 15:12
    各世代の生み出す体系は
  • 15:12 - 15:15
    自ら解体したがらなかったり
  • 15:15 - 15:17
    時に解体不可能であるものですが
  • 15:17 - 15:21
    本の中で 私の見解から語った物語は
  • 15:21 - 15:23
    変化し始め
  • 15:23 - 15:26
    私の手から離れていきました
  • 15:27 - 15:29
    私の父に対する憎しみは消えました
  • 15:29 - 15:33
    父が死ねばいいとか
    殺したいと思わなくなり
  • 15:34 - 15:36
    自由になったように感じました
  • 15:37 - 15:40
    以前よりずっと自由になったのです
  • 15:42 - 15:45
    私は この自由な感覚が父にも
  • 15:45 - 15:47
    伝わらないだろうかと考えました
  • 15:49 - 15:52
    初めての再会で
  • 15:55 - 15:57
    私は自分が幼い頃の写真を
  • 15:57 - 16:00
    ほとんど持っていないことに
  • 16:00 - 16:02
    衝撃を受けました
  • 16:03 - 16:05
    これは私が
  • 16:05 - 16:07
    9ヶ月の頃の写真です
  • 16:07 - 16:09
    元の写真では
  • 16:09 - 16:12
    私は父 バガイに抱き上げられていますが
  • 16:12 - 16:15
    両親が離婚したときに
  • 16:15 - 16:17
    母はあらゆる生活の側面から父を除外しました
  • 16:17 - 16:20
    母はハサミですべての写真から
    父を切り取り
  • 16:20 - 16:25
    何年もの間 この写真は
    私がひとりぼっちで
  • 16:25 - 16:27
    誰にも支えられていないのだと
  • 16:27 - 16:29
    語っているのだと
    自分に言い聞かせていました
  • 16:30 - 16:32
    ですが この写真には別の見方もあったのです
  • 16:32 - 16:35
    これは再会する可能性を
  • 16:35 - 16:37
    持っている写真―
  • 16:37 - 16:40
    父と再び出会う可能性を持った写真なのです
  • 16:40 - 16:44
    そして父に抱き上げられたいという思いから
  • 16:44 - 16:47
    私は父を白日のもとにさらしたのでした
  • 16:47 - 16:50
    最初の再会では
  • 16:52 - 16:55
    とてもぎこちなく緊張する瞬間ばかりで
  • 16:55 - 16:56
    緊張を和らげるために
  • 16:56 - 16:59
    散歩に行くことにしました
  • 17:00 - 17:02
    一緒に歩くうちに 私は
  • 17:02 - 17:04
    今や父よりずっと背が高いにもかかわらず
  • 17:04 - 17:07
    自分が子どもに戻ったように感じました
  • 17:07 - 17:10
    私は父より30センチくらい背が高いのです
  • 17:10 - 17:13
    父はいまだに大きい人なので
  • 17:13 - 17:15
    父の足取りに遅れまいとしました
  • 17:17 - 17:19
    そして私は父がいまだに
  • 17:19 - 17:21
    誰かに見られているような歩き方を
    することに気づきましたが
  • 17:21 - 17:24
    父の足取りに感心しました
  • 17:24 - 17:26
    父の足取りはまるで
  • 17:26 - 17:29
    F.A. カップファイナルで
    2位に甘んじたチームが
  • 17:29 - 17:33
    壇上へ2位のメダルを
    取りに上がるかのようでした
  • 17:33 - 17:36
    敗北の中にも威厳があったのです
  • 17:37 - 17:38
    ありがとうございました
  • 17:38 - 17:41
    (拍手)
Title:
気難しい父親の息子として|コリン・グラント|TEDxBrighton
Description:

コリン・グラントは、これまでの人生で、父親の世界と自分の世界のはざまで、感情の波間を漂ってきました。ジャマイカ出身の両親のもとでイングランドに生まれたグラントが、彼が育った移民コミュニティの中で共有された物語に目を向け、自分を拒んだ父親を許そうと思えるに至った過程を振り返ります。

more » « less
Video Language:
English
Team:
closed TED
Project:
TEDxTalks
Duration:
17:45

Japanese subtitles

Revisions