親としての夢は 何でしょうか?
親としての夢を
2語で表すように尋ねると
おそらく殆どの人は
「健康な子供」と 答えるでしょう
私達が携帯で 立派に育った
子供の写真を見せる時
実のところ
自分自身の事を
話しているのです
その子を作ったのは
自分ですからね
(笑)
それは 自我の延長なのです
私達の2番目の子供は
1984年に生まれました
息子には 戦争で亡くなった
私の弟の名前をつけました
私達よりも優れ 成功し
より才能のある事を期待したのです
誇りの源です
息子が18か月の時
妻のディディと私は
心療内科医から
診断が下されました
「息子さんは 自閉症と知的障害を
合わせもっています
おそらく話す事は
できないでしょう
おそらく一生子供の精神年齢の
ままでしょう」 と言われたのです
ショックでした
天地がひっくり返ったかのようでした
親としての夢は
悪夢となってしまったのです
息子に将来がないのに どうやって
私達は生きていけば いいのでしょう?
息子は生涯で1言も言葉を
発した事は ありませんでした
(ヘブライ語で)「アパ/パパ」
「エマ/ママ」とは言いませんでした
目を合わせる事は
しませんでした
息子は 私の人生で
最高の先生でした
彼に教わりました―
(拍手)
他の誰よりも 息子から教わったのは
自分自身の事、私達の社会
息子のような子供達の事です
このような子供達は 自分で
食べる事ができないし
服を着る事もできないし
「オムツを交換して」と
言う事さえできません
このような子供達は終身刑を2度宣告されて
苦しめられるのです
1度目は一生
心身の障害を負う事
2度目はある日
障害者施設に送られる事で―
それは一生刑務所に
いるのと同じです
息子が生まれた時
その当時
私は特殊部隊の指揮官で
33歳の中佐として
スーダンで作戦を指揮していました
エチオピアで生命の危険にさらされている
ユダヤ人を
世界唯一のユダヤ人の祖国
イスラエルへ救出する任務です
これは 多くの戦闘の模様です
レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトと
中東地域全域に渡るものです
こちらは
1976年のエンテベに於ける
非常に有名な 人質救出作戦です
捕らえられ1週間もの間 人質となった
105人のイスラエル人の
救出作戦を実行しました
私はその地に最初に降り立ち
(拍手)
私はその地に最初に降り立ち
最後まで エンテベの飛行場に残りました
こちらは 1973年の
第4次中東戦争の様子です
この戦争では
多くの友人を亡くしました
明日の朝まで生きられないと
思う瞬間がよくありました
しかし とりわけ
戦争の終結時に
母と電話で交わした会話を
思い出します
私の弟はゴラン高原で戦いました
私は南部で戦いました
訊くのが怖かったのですが
思い切って 母に尋ねると
「エランは亡くなったの
エランはもういなくなったのよ」と言いました
弟は殺されたのです
私は家に一度戻り
弟の最後の戦闘を確かめる為
ゴラン高原に行きました
弟の乗っていた戦車の燃えかすを
見つけました
驚いた事に 弟は
シリアの戦車に被弾して
車外に放り出され 血を流し続け 7日間も
助けを求めて叫んでいたと知りました
ようやく救出されたとき
彼は 既に亡くなっていました
私は激怒し
不満と怒りに満ちていました
そして心に誓ったのです
負傷した戦士を
決して置き去りにしないと―
(拍手)
11年後
妻のディディと私は
負傷した弟の生まれ変わりのような
子供を育てていました
そしてその子は
こう言っているかのようでした
「大好きなお父さん お父さんは
特殊部隊の事は 何でも知っているね
士気の高い兵士のことも
いろいろ知っている
でもお父さんは
僕のような子供達の事は全く知らない
恥、汚名、固定観念の事もね
こっちへ来て お父さん
手を貸して
行こうよ 僕みたいな子供達が
送り込まれる場所を見に行こう」
私達は障害者施設を
次々に訪ねました
汚くて、臭くて、暗い場所を
目にしました
息子のような子供達は 無視され
虐待され 攻撃されます
私達は泣いて 家に帰りました
それから私達は
「恥」について学び始めたのです
例えば ゴルダ・メイアです
70年代の第4次中東戦争で
最高司令官の職務に就き
1972年のミュンヘンでの
イスラエル人オリンピック選手11人の
虐殺事件の際に 敵を追詰める為
私と仲間を送り込みました
ゴルダ・メイアはメイラという
女の子の祖母でもありました
ダウン症の孫娘です
メイラはイスラエルの人達に
ゴルダが亡くなった後 言いました
「祖母は一度も私に会いに来てくれなかった
私は愛されていなかった
彼女は 私の存在を
心底恥じていたのです」
ゴルダは 私の母に伝えました
イスラエルの首相に
知的障害のある孫娘がいる事を
口外してはならないと―
さらに 著名人や普通の人々が
自分の子供達を海外や
イスラエルの障害者施設に隠している
という話を 数多く耳にしました
私の頭の中で 息子の声が
聞こえています
「大好きなお父さん 目を覚まして!
僕は社会の人質だ
自分の力では何もできない
僕の為に戦ってくれるの?
社会を変えてくれるの?
僕に希望をくれるの?」
私達は息子の為に
戦う決心をしました
息子を愛し 決して恥だと思わないと
心に決めたのです
息子や彼のような人の為に
私達はビレッジを設立しました
素晴らしい場所、楽園です
もうこれ以上沈黙の壁に
囲まれた障害者施設の中に
隔離するべきではなく
社会支援施設で受け入れるべきです
(拍手)
そこは楽園、ユートピア社会です
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教徒
皆が息子のような子供達を世話する為
見事に協力し合って働いています
(拍手)
子供達を愛する為です
このビレッジでは
最高の住居環境、最高の教育
最高の医療
最高の食事、最高の衣服
最高の社会生活
カルチャー、音楽、庭園など
必要な物全てを提供します
そしてこのビレッジでは
新しい受け入れ方や
統合のモデルを構築しました
どのように?
それは4つの柱から成り立っています
1つ目はリハビリテーション
2つ目は教育
3つ目は訪問者
4つ目はボランティアです
リハビリテーションのモデルは
このビレッジの外から訪れる
毎日約200人の外来患者が
息子のような重度障害児と一緒の
ケアを求めて通います
それは比喩的にも物理的にも
一緒のケアなのです
戦闘によって負傷した戦士や
脳卒中の後遺症のある人
交通事故に遭った国会議員や
ベドウィンのダウン症の女の子
息子のような子供達
―全員が同じプールの中にいるのです
私達は様々なセラピー治療を
提供しています
水療法、理学療法
音楽療法、乗馬
動物療法、職業療法など
ありとあらゆる療法です
ここには 全てがあります
2つ目の教育についてです
リハビリセンターの中央には
1歳以上の健常児が通える
普通の幼稚園を設置しました
1歳から子供達には
恵まれず 重度の障害がある
不自由な人を
受け入る事を教えます
1歳から子供達に
社会の責任を
教えるのです
(拍手)
3つ目の訪問者について―
毎日約100人が見学に訪れます
彼らは感動し 興奮します
アメリカやヨーロッパから
ツアー客、ハイテク関連企業者
戦士、退役軍人、親達が訪問します
訪れた人々は 口々にこう言います
「私達は貴方の考えを後押しし
社会を変える為に協力します
私達はメッセンジャーです」
4つ目のボランティアについて―
ここには400人以上の
ボランティアがいます
ドイツから来る人達もいて
このベルリンから来た
若いキリスト教徒はこう言います
「私達は第二次世界大戦での
600万人のユダヤ人大虐殺の
償いに来ています
第二次世界大戦の開戦時に
ヒトラーが障害者を殺害した
その償いに来ているのです」
彼らはこう言います
「差別をなくそう
人種的偏見をなくそう
人間は皆 同じなのだ
私達は人権によって平等であり
権力によって平等なのではない」
彼らは約100人のイスラム教徒や
南部から来たベドウィン
約600人のユダヤ人と共に
非常によく協働し
重度障害児の世話をしています
彼らはこう言います 「私達は与えるよりも
多くの物を貰っています
世界を変える為に
協力するつもりです
あなたの外交大使となって
力をお貸しします」と
今夜 2月6日で
愛する息子が亡くなってから
丁度10年になります
彼はもう私達とは
一緒にいません
彼の為に建てたビレッジで
1年間という
素晴らしい時間を過ごしました
息子の精神は ビレッジの
あらゆる所に 広がりました
その精神は
私の心の中にもあります
それはこの世界の「良心」なのです
(拍手)
14年前
私はこのビレッジを
建設する為に 大佐の職を辞しました
息子のスポークスマンになる為
社会を変える為
息子と彼の仲間たちの為に戦い続け
人生の終わりまで 戦い続ける為です
(拍手)
1年前
私はイスラエル国民に与えられる
最高の賞を授与されました
永年の貢献に対する
イスラエルの賞ですが
この賞は―
(拍手)
この賞は 私にではなく
息子に与えられるべきでした
私はメッセンジャーに
過ぎないのです
息子が私を変えてくれました
彼が私をより良い人間―より謙虚で
利己的でなく 傲慢ではない人間にしてくれました
もし息子のような子供達の数が
世界人口の1%だとしたら
その1%が 残りの99%を
変えられるのです
私が息子から教わったように
この1%の人が先生や教育者になれるのです
この1%の人が 残りの99%を
より謙虚で、利己的でなく
傲慢でない人に 変えられるのです
(拍手)
社会的連鎖は常に
弱い繋がりによって測られます
私達が繋がりを強めるほど
より良く 強力な社会になるのです
軍隊では
勇敢さや勇気を称えて
人々や戦士を表彰します
私達の社会では
最高の勲章は障害者―
つまり息子のような
1%の子供達によって
与えられる「人間」という勲章だと
思います
有難うございました
(拍手)