今日の僕の話のタイトルは 「アーティストになろう、今すぐに」です こういう話をしても 多くの人は 素直に聞いてはくれないようです 「アートじゃ生活できないし 今は忙しいから」 「学校に行っているから」「就活が忙しくて」 「子供の送り迎えがあるし」ってね 「忙しくて アートのための時間なんてない」と思ってる 今すぐアーティストになれない 理由はたくさんある みなさんも すぐ思い浮かぶでしょう? なれない理由は本当にたくさんある そもそも なるべき理由もよく分からない アーティストになるべき理由が分からないうえに なれない理由の方はたくさんあるんだ なぜ 自分とアートを結びつけることに抵抗を感じるのか たぶん アートはすごい天才か 修行を重ねたプロだけのものだと思っているんだ アートから遠ざかっているから と思っている人もいるだろう その可能性もゼロじゃないけど 僕は疑わしいと思う 今日はこのことについて話をします 僕らはみんな生まれた時からアーティストだ 子供がいる人は 分かるよね 子供がやることは ほとんどすべてがアートだ 壁にクレヨンで絵を描いたり テレビのソン・ダムビを真似て踊ったり でも真似できずに オリジナルな振付になったりする 変なダンスを踊ったり 人に歌を聴かせたりする 子供のアートに我慢できるのは その子の親だけかもしれない 子供の芸術活動は一日中続くから 実際 子供の相手は大変だよね 時にはお芝居をすることもある -- ままごとは一人か数人でやる お芝居だ 少し大きくなると 嘘をつくことを 覚える子もいるよね 親は 子供が最初に嘘をついた時を覚えている なにしろ ショックだから 「本性が現れて来たようね」とお母さんが言う 『どうしてお父さんに似ちゃったのから』と思いながら それで子供に尋ねる 「どんな大人になるつもり?」 でも心配することはありません 子供が嘘をつき始めた瞬間に 物語を創る才能が目覚めるんだ 見たことのないものについて話し始める すばらしい瞬間です 親は喜ぶべきです 「やった! うちの子が初めての嘘をついた!」 って お祝いしなくちゃいけない 「ママ! 帰り道に誰に合ったか分かる? 宇宙人だよ」 と 子供に言われたら 普通の親は「やめなさい!」と応える 理想的な親はこんな風に応えるだろう 「本当?宇宙人がいたの? どんなだった?何かしゃべった? どこで会ったの?」 「えっと...スーパーの前だよ」 こんな風に話をすれば 子供は次の展開を ちゃんと考えなきゃいけなくなる そうするうちに 物語がどんどん発展していくのです もちろんそれは 子供のお話に過ぎないけど 一行 また一行と 考えていく作業は 僕たちプロの作家と同じだ 両者に本質的な違いはない ロラン・バルトがフロベールの小説について言っている 「フロベールは小説を書こうとしたというよりも 1つずつ 文をつなぎ合わせていったに過ぎない その行間に潜むエロスこそが 彼の小説の本質だ」 そのとおりだ -- 小説は まず一文を書いて その前提からはみ出さないように 次の行を書いて それを繰り返すことで生み出されるものだ この文をちょっと見てみましょう 「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。」 カフカの「変身」の 冒頭の 1 文です こんな 有り得ない出だしなのに それが説得力を持つように続けることで カフカは現代文学の名作を生み出しました カフカは父親には自分の作品を見せなかった 父親とは仲が悪かったのです カフカはこんなことをこっそり書いています もし父に見せたら「正気を失った」と思われるだろう 実はそうなんです アートは常識を外れ いかにも真実の様に 次の文を続けていくという 子供の遊びみたいな方法で 創作したのだから 嘘をつき始めた子供は 物語の作者になる第一歩を踏み出したと言えます 子供たちはアートを実践しています 飽きることもなく 楽しみながらやっている 数日前に済州島に行ってきました ほとんどの子が海に入りたがるけど 中には砂の方が好きな子もいる 山や海を作ったり -- 海じゃないか 何か -- 人とか 犬とか そういう時に親が言うんだ 「どうせ波に壊されちゃうわよ」 つまりムダだし 何の役にも立たないってことだね つまりムダだし 何の役にも立たないってことだね でも子供たちは気にしない その瞬間を楽しんでいて 無心に砂遊びを続ける 誰かに言われてそうしているわけじゃない ボスに命令されたわけじゃない ただそうするんだ 子供の頃 夢中に絵を描いたことがあるでしょ 一番幸せだった時について書いて と学生に言うと 幼い頃の芸術体験について書くことが多い 初めてピアノを弾いたときや連弾したとき 友達をボケ役にしてコントをしたとき 初めて撮った写真を現像したときとか そういう経験について語り始める あなたにも そんな時がありませんでしたか? その時 アートはあなたを幸せにしていたはずです 仕事と違ってね 仕事で幸せを感じていますか? つらいことの方が多いですよね フランスの作家 ミシェル・トゥルニエの 有名な言葉があります からかっているみたいだけど 「仕事は人間性に反する。 仕事をすると疲れるのが その証拠だ」 仕事が人間の本性なら なぜ疲れるのか 遊びでは疲れないのに 徹夜で遊ぶことだって出来る 徹夜で働いたら 残業代を請求する うんざりするし疲れるから でも子供は楽しみのためにアートをする それは遊びなんだ 絵を描いて売ろうとしているわけじゃない 家族を養うためにピアノを弾いているわけじゃない もちろん 昔はそういう子もいた この人が誰だか分かりますか? 家族を養うためにヨーロッパ中を旅した モーツァルトです -- でも何世紀も前のことだし モーツァルトは例外扱いでいいでしょう 残念なことに 純粋な楽しみであるはずのアートは やがて終わりを迎えます 子供たちは学校や習い事に通い始め 宿題も出される ピアノやバレエのレッスンもあるけど それまでみたいに楽しくはない 命令されたり 競争させられたり そんなの楽しくないに決まってる 小学校に入ったのに 壁に落書きをしていたら お母さんにも怒られるし それに いつまでもアーティストのように振る舞っていると だんだんプレッシャーをかけられるようになる -- みんなに変な目で見られて ちゃんとしろって言われちゃう 僕がそうだった -- 中学のとき 景福宮の写生大会に参加して 一生懸命描いてた そしたら先生が回ってきて 「何してるの?」って訊いてきたんだ 「一生懸命描いてます」って答えたら 「何で黒一色なの?」って 僕は黒一色でスケッチブックを塗りつぶしていたんだ 僕は説明した 「闇夜にカラスが樹上で休んでいる図です」 先生は言った 「ヨンハ君は絵は描けないけど 物語の才能があるよね」 -- だったら良かったんですが 実際は 「ふざけるな!」って怒られた(笑) 「立っていなさい!」って先生は怒鳴った 「今日は宮殿を描きに来たんだぞ」って でも僕の絵は真っ黒だった 先生は僕をグループから引きずり出した 周りには女子もたくさんいた 僕は恥ずかしくてたまらなかった 何を言っても聞いてもらえなかったし 深く傷ついた 理想的な教師なら 僕が望んだような答えが返って来ただろう 「ヨンハ君は絵は描けないけど 物語の才能があるね」って 励ましてくれたはずだ でもそんな先生は滅多にいない 大人になってヨーロッパの美術館に行ったとき -- 大学生の時だ -- すごく不公平に感じたよ これを見た時に(笑) 僕が自分の絵をくわえて 景福宮の前に立たされていた頃 この絵はバーゼルの美術館に飾られていたんだ これなんか まるで壁紙じゃないか 現代美術では 言い訳なんていらないそうだ カラスがどうとかね ほとんどの作品の題名は「無題」だ ともあれ 20 世紀の現代美術は 何か変なことをして 説明や解釈で空白を埋めるという 僕がやったのと まさに同じようなものだ 僕のは完全に素人の作品だったけど 代わりにもっと有名な作品を見てみよう これはピカソの作品です 自転車のハンドルにサドルをくっつけて 「牡牛の頭部」という作品名を付けた こちらの小便器は 「泉」という題名の作品 デュシャンの作品です つまり 何か変なことをして それをストーリーで説明するというのが 現代美術がやっていることなんだ ピカソはこうも言っている 「私は見たものを描くのではなく 感じたものを描く」 慶會楼を見たままに描く必要はなかったんだ ピカソのこの言葉をもし知っていたら あの先生に勝てたかもしれない 不幸なことに 僕たちの中にある創造性は 芸術の抑圧者との戦い方を覚える前に 息の根を止められてしまう 檻に閉じ込められて それは僕たちの悲劇だ 創造性が閉じ込められたり 踏みにじられたとき 何が起きるのか? アートに対する欲求は消えたりしない 自己表現への渇望が残る でも創造性を否定されたら 抑圧された形でしか表現できなくなる 「追憶のメロディ」や「ホテルカリフォルニア」を エアギターを弾きながら カラオケで歌ったり 大抵 すごく下手なんだよね そんな風になったりする人もいるし クラブで踊る人もいる 物語を紡ぎだすことの出来たかもしれない人々が 一晩中 インターネットで騒いでいる そこでは 文章を書く才能が 暗黒の一面を見せる 子供のおもちゃを取り上げちゃうお父さんもいる レゴとかプラモデルで遊ぶときに 「触るな! パパがやってやるから」って 子供は飽きて 別のことをし始めるんだけど お父さんは構わずお城を作り続ける 創造性が抑圧されても 完全になくなっていない証だ それはしばしば嫉妬という 裏返しの形で現れる 「テレビに出たい」っていう歌を知ってる? どうしてテレビに出たいのかな? 自分が願ってもなれなかったような人たちが テレビにはたくさん出ている 踊ったり 演技したり -- やればやるほど称賛される そうなると彼らが妬ましくなってくる リモコンを握り テレビの人々を批判し始める 「演技が下手」 「これが歌? 音程合ってないじゃん」 こういう言葉がどんどん出てくる 僕らが嫉妬するのは 僕らの性格が悪いからじゃない 僕らの中に 創造性が閉じ込められているからだ 僕はそう思う じゃあ どうすればいいのか? そのとおり いますぐ 自分たちのアートを始めるべきだ いますぐに テレビを消して インターネットを止めて 自分自身で何かを始めるべきだ 僕は演劇学校で教えている 演技・演出術のコースだ このコースでは学生全員に 舞台を上演させる でも演技専攻の学生には 演技はさせない 彼らには台本を書かせたり 作家志望の学生に舞台美術をさせたり 美術専攻の学生に演技をさせたりして 舞台を完成させる 最初は 学生たちは戸惑うけど そのうち新しい役割を楽しみ始める 楽しくなさそうな学生は滅多にいない 学校でも 軍隊でも 果ては精神病院でも 舞台をやることになれば みんなが楽しむ 軍隊でもそうだった -- 沢山の人が楽しそうに舞台に参加していた もう一つ 僕の経験を紹介しよう 作文の講義で 僕はちょっと変わった課題を出す 講義にはみなさんのような 作家志望でない学生も大勢いて 美術や音楽を専攻している学生は 自分には書けないと思っている 僕は学生に白紙とテーマを与える 簡単なテーマを与える 子供の頃に起きた 最もツイていない経験について書く とか ただし一つだけ条件を付ける 狂ったように書け! と 教室を回って学生に声をかける 「とにかく書け!」って 1 時間か 2 時間 狂ったように書かせる 考える時間は最初の 5 分くらいだろう 狂ったように書け というのは ゆっくり書くといろんなことを考えて 悪魔に隙を与えることになるから 悪魔はいくつもの理由を持ち出して 書くことを諦めさせようとする 「みんなに笑われるよ」「下手くそだな!」 「変な文章!」「字が汚い!」 そういうことを次々に言う この悪魔に捕まらないように 全力疾走しなきゃいけない 僕の授業でこれまで一番良かった作品は じっくり取り組める長期間の課題ではなく 1 時間以下の短い時間に 僕の目の前で学生が 鉛筆で書きなぐった文章だった 学生はある種のトランス状態におちいる 30 分か 40 分もすると 自分でもよく分からないことを書き始める そのとき 悪魔がつけ込む隙はなくなる こう言うことができるだろう アーティストになるために必要なのは 沢山の否定的な理由ではなく たった一つの必然的な理由だ 成れるはずがないという理由なんて 重要じゃない たった一つの必然的な理由こそが 多くのアーティストを生み出す 悪魔の方を閉じ込めて 自分自身のアートを始めると 今度は外側からの攻撃にさらされる たいていの場合は 自分の両親だ(笑) 妻や夫の場合もある でもそれは本当の両親や配偶者ではなく 悪魔が化けているのです 悪魔が身近な人に姿を変え アーティストになるのを邪魔しに来たのです 彼らはすごい呪文を使います 「公民館のクラスで 演技を習ってみようかな」 とか 「カンツォーネを習いたい」というと 「ふーん? 何のために?」と訊かれる この「何のために?」というのが 悪魔の呪文なのです アートは何かのためにやるものではない アートこそが究極のゴールです 人間の魂に救済を与え 生活を豊かにする お酒や薬に頼らなくても 自分を表現して楽しくなれる だから この呪文を投げかけられても 怯まないでください 「面白そうだからだよ! 君も何か見つけたら?」 とか 「とにかくやってみるよ」と言ってください 僕が考える理想の未来では 誰にでも複数のアイデンティティがあって 少なくともそのうち 1 つはアーティストなんだ ニューヨークでタクシーに乗った時 後部座席の目の前に 演劇関係の貼り紙がしてあった 「これ何?」ってドライバーに訊くと 自分のプロフィールだと彼は答えた 「何してるの?」って訊くと「役者だよ」って答えたんだ 彼は運転手兼役者ってことだ 「どういう役が多いの?」って訊くと 嬉しそうに「リア王だよ」って答えた リア王 「我が誰であるかを告げるものは誰か」 -- リア王の有名なセリフです これこそ 僕が夢に見る世界だ 昼間はゴルファーで夜は作家とか 運転手兼 役者とか 銀行員兼 画家であるとか 人に見せる見せないに関わらず 誰もがアートを実践する 1990年に モダンダンスの先駆者 マーサ・グラハムが韓国を訪れた際 金浦空港に降り立った 90 代の偉大な芸術家に 記者たちが型どおりの質問をした 「優れたダンサーになるために すべきことはありますか? 韓国のダンサーたちにアドバイスをお願いします」 彼女は巨匠だった。1948 年にこの写真が 撮られた時彼女はすでにスターだった この質問をされたのは 1990 年だった 彼女の答えはこうだった 「とにかくやってみるのよ」 僕は感動した それだけ言うと 彼女は空港を後にした 僕たちは いま何をすべきなのか? アーティストになろう! 今すぐに! でもどうやって? とにかくやってみるんだ! ありがとうございました (拍手)