ポケットいっぱいに商品を詰め込んで店をでてくる、 これほど昂揚感、暗い気持ちが払拭されるときはない。 世界中のものは全て既に誰かに所有されていて そこでは僕は生きるために必要最小限の物を得るために自分を売らなくちゃいけない。 そこには僕の手の届かない理解不可能な力が働いていて 僕のニーズや僕の幸福のことなんてちっとも気にされていない。 万引きは僕に一方的に影響を与える世界に少しでも僕自身の 世界を作り上げる僕のやり方なのだ。 それは何か買うときとは全く違う感覚を引き起こす。 僕が何か買うときは、僕は交換してる。 それはどんな状況でも僕とシェアすることのない企業が提供する商品やサービスに対して 僕の時間、労働と、創造力を使って手に入れたお金との交換を僕は申し出ているのだ。 ある意味、それは暴力を元に成り立っている関係といえる。 僕たちの交換の交渉は、お互いへの思いやりにも敬意に基づいてない。それはお互いの強制的な力で成り立つ交渉だ。 僕はその途端、僕の幸福を考えない顔のない非人間的な企業と交渉しているのではない。 万引きはこの関係を変える。 僕はその途端、僕の幸福を考えない顔のない非人間的な企業と交渉しているのではない。 代わりに、僕は何も渡さずに自分の必要なものをとるのだ。 僕はもはや無理やり交換を強いられているのではない。 僕は世界が勝手に僕の人生を決めるているような気がしなくなる。 買った本が僕の2時間の労働に値して、それが 面白いかどうかなんて気にならなくなる。 万引きは僕をあらゆる意味で自由にし元気づける。 「何か落としましたよ。」 「ありがとう」 「ありがとう。」 万引きする人は危険を冒して目標達成するのだ。 自分の人生を削って、達成するのではないのだ。 人生は一時間7ドルや8ドルなんかで切り売りするものじゃない。 生きるために 彼女は人生を自分の手に取り戻した。 それは自分のものと主張したからだ。 万引きは交換経済の否定だ。 それはお金が何にでも交換できる価値があるという考えへの否定だ。 「ハイ」 「彼女はどう?」 「元気。すごい楽しかったんだよ。」