WEBVTT 00:00:06.611 --> 00:00:08.545 芸術の古典的作品について考える時 00:00:08.545 --> 00:00:12.364 普通 美術館を思い浮かべます 00:00:12.364 --> 00:00:14.815 しかし私たちが忘れがちなのは 多くの芸術作品が 00:00:14.815 --> 00:00:17.528 美術館に飾られることを念頭に 作られたわけではないことです 00:00:17.528 --> 00:00:19.221 作品がもともと意図されていた場面から 00:00:19.221 --> 00:00:22.807 離されてしまうと 何が起きるでしょうか? 00:00:22.807 --> 00:00:26.302 ミケランジェロのダビデ像の例を とりあげてみましょう 00:00:26.302 --> 00:00:29.931 この像はペリシテ人の巨人ゴリアテを 倒した少年を描いたもので 00:00:29.931 --> 00:00:33.051 勇気と投石器だけを身にまとっています 00:00:33.051 --> 00:00:37.291 ミケランジェロが純白の大理石の塊を彫り 00:00:37.291 --> 00:00:39.558 この有名な聖書の物語を伝えようとし始めた頃 00:00:39.558 --> 00:00:42.351 フィレンツェ市はそれが完成したら 00:00:42.351 --> 00:00:44.620 大聖堂のてっぺんに設置しようと 考えていました 00:00:44.620 --> 00:00:46.880 約5mの彫像はその高さなら 00:00:46.880 --> 00:00:48.995 簡単に見えるだけでなく 00:00:48.995 --> 00:00:51.895 旧約聖書に出てくる英雄の 他の11体の彫像と並んで 00:00:51.895 --> 00:00:55.055 観衆の頭上に設置されると 00:00:55.055 --> 00:00:57.659 人は畏敬の念を込めて 天の方を見上げることになり 00:00:57.659 --> 00:01:01.722 強力な宗教的意義をもつことでしょう 00:01:01.722 --> 00:01:05.254 しかしミケランジェロが1504年に 作業を終えた時には 00:01:05.254 --> 00:01:08.381 他の彫像を作る計画は失敗に終わっており 00:01:08.381 --> 00:01:11.729 さらにフィレンツェ市はそんなに大きな 彫像を屋根に上げるのが 00:01:11.729 --> 00:01:14.196 考えていた以上に難しいことを悟りました 00:01:14.196 --> 00:01:17.432 そのうえ その彫像は非常に詳細に作られ まるで生きているようでした 00:01:17.432 --> 00:01:19.689 ダビデの腕の膨らんだ血管 00:01:19.689 --> 00:01:22.013 彼の顔に表れた決意 00:01:22.013 --> 00:01:26.089 それらを観衆の目から遠く離れた所に 隠してしまうのは残念に思われました 00:01:26.089 --> 00:01:28.056 政治家や芸術家の評議会は 00:01:28.056 --> 00:01:31.436 この像の新しい置き場所を 決めるための会議を開きました 00:01:31.436 --> 00:01:34.928 最終的に投票によってシニョーリア宮殿の 前に置くことに決まりました 00:01:34.928 --> 00:01:38.564 そこは市庁舎で 新しい共和政治の 本拠地でした 00:01:38.564 --> 00:01:41.439 この新しい置き場所は 像の持つ意味を変えました 00:01:41.439 --> 00:01:44.660 何代にもわたり銀行業を管理することを通じて 00:01:44.660 --> 00:01:48.386 この市を支配してきたメディチ家が この頃追放され 00:01:48.386 --> 00:01:50.746 フィレンツェは今や自由都市であると 自認しており 00:01:50.746 --> 00:01:54.026 富や力をもつライバルに 四方から脅かされていました 00:01:54.026 --> 00:01:58.200 ダビデは今や圧倒的に勝ち目のない相手に 英雄的に立ち向かうことの象徴になり 00:01:58.200 --> 00:02:00.290 熱意のこもった眼差しとともに 00:02:00.290 --> 00:02:04.134 枢機卿ジョヴァンニ・ディ・メディチの本拠地である ローマをまっすぐに見つめて 00:02:04.134 --> 00:02:06.819 厳しく警告しているかのように見えました 00:02:06.819 --> 00:02:09.402 この像自体は変わっていませんが 00:02:09.402 --> 00:02:12.267 置き場所がその像の意義を 宗教的なものから政治的なものへと 00:02:12.267 --> 00:02:15.106 ほぼ全く変えてしまったのです 00:02:15.106 --> 00:02:18.524 ダビデ像のレプリカはいまだに その宮殿にありますが 00:02:18.524 --> 00:02:21.415 オリジナルの像は1873年に 00:02:21.415 --> 00:02:25.676 今日それが置かれている アカデミア美術館に移されました 00:02:25.676 --> 00:02:28.660 この美術館の秩序だった静かな環境の中で 00:02:28.660 --> 00:02:31.832 何体ものミケランジェロの未完成の彫像とともに 00:02:31.832 --> 00:02:35.205 明白な宗教的・政治的解釈は脱落し 00:02:35.205 --> 00:02:38.220 ただミケランジェロの芸術的・技術的熟練だけを 00:02:38.220 --> 00:02:40.454 じっくり鑑賞することになりました 00:02:40.454 --> 00:02:43.118 しかしここでさえ 観察力の鋭い観客は 00:02:43.118 --> 00:02:46.563 ダビデ像の頭と手が不釣り合いに 大きいことに気づくかもしれません 00:02:46.563 --> 00:02:49.561 これは下から見上げるために 作られたことの名残なのです 00:02:49.561 --> 00:02:52.995 ですから芸術作品が置かれた場面は 歴史を通して作品の 00:02:52.995 --> 00:02:55.680 意味や解釈を変えるだけでなく 00:02:55.680 --> 00:02:59.136 時々その歴史を全く予期しない形で 00:02:59.136 --> 00:03:01.172 再び浮かび上がらせることもあるのです