ここは 秋の終わりの 広葉樹の森 落葉した木々の間から 木漏れ日が差し込み たくさんの野鳥たちが さえずっています 私は そんな森に分け入り 獲物の痕跡を探します 獣道に残された 足跡 「これはイノシシが 昨日の晩 通ってるな」 「鹿は3、4頭の群れがおって 子連れやな」 木の幹に付いた傷や泥 「このイノシシは 体重50kg ぐらいで雄やな」 「鹿の群れは昨日 来てへんけど 3日にいっぺんぐらいは来てる」 罠猟師は残された痕跡から そこにいない動物の行動を 手に取るように把握します 私は街でも猟師です 例えば 3月の引っ越しシーズン まだまだ使える家具や電化製品 そんな大型ゴミがたくさん出ます 「来週の大型ゴミは火曜日・・・」 (笑) 取り壊し中の家を見つけると 「大将 その廃材 ちょっともらえへんかな?」 「ええで ええで いくらでも持っていきや こんなん どうせ ほかす(捨てる)もんやしな」 ただで必要なものを手に入れる そういう点では山でも街でも 私は同じような感覚です こんなことを言うと 野生動物をゴミ扱い しているように聞こえますか? でも 野生動物を ゴミのように扱っているのは 実は この現代社会です 2009年に 狩猟によって 捕獲された鹿の数は 156,700 頭 それとほぼ同じ数の 154,800 頭の鹿が 有害な動物だということで 殺されています それは皆さんが食べる お米や野菜を 食い荒らす害獣だから という理由 そして その鹿は ほとんどが 焼却 埋設処分されます つまり 「野生動物も増えすぎて邪魔だ ゴミとして 燃やしてしまえ 殺して土に埋めたらいい」 というわけです 罠に掛かった鹿の命を奪うとき 私は鹿の首をナイフで 頸動脈を切り取ります そこから血が流れ出て 約10分間の間に 鹿は息絶えます ちょうど今日 私に与えられた時間 このスピーチの時間くらいの間 山の中で 私は鹿と二人っきりで 静かな時間を過ごします 鹿は死ぬ間際 息を荒げ 痙攣し 足をつっぱり 目を見開きます 「殺すことにもう慣れましたか?」 よく聞かれます 確かに命を奪う技術は 向上しました でも 慣れることはありません 本当に殺す必要があるのか 常に自分に問いかけています 猟師がこんなことを言うのは おかしいかも知れませんが 私はなるべくなら 鹿は殺したくありません 自分や家族 友人たちが 生きていくため 食べるための その為だけに私は猟をしています 猟を始める1年前 私は東ティモールにいました そこでは 現地の独立を決める 住民投票が 国連により準備されており 私は国際投票監視員として 関わっていました 投票後 東ティモールの 独立に反対する インドネシア軍や民兵組織によって 多くの家が放火され 銃声が響き たくさんの人々が殺されました 私も国外に脱出し 東ティモールに戻れたのは 独立が決まって 半年も経った後のことでした 再び東ティモールに戻った私は ショックを受けました 現地の人々がまだ 住む家もないというのに 国連やNGOが焼け残った建物を 利用しています 金儲け目的の外国人も 多数入国しており 東ティモール人のための 食堂や市場が出来る前に 外国人向けのバーやカフェが そしてそこで働く 東ティモール人の給料は 一日たったの1ドル 呆然としました これが新たに 独立を決めた国の姿か そして そこでは私も その他大勢の外国人の一人でした すぐに帰国を決意しました ここはもう 私の居るべき場所ではない その一方で東ティモールの人々は 独立を勝ち取り 喜び 新たな国作りを 始めていました それを見て思いました 私も自分にとって 責任のある場所に戻り 自分自身の側の問題に 取り組もう 帰国してまずは自分自身の生き方を 見つめなおそうと思いました その中で自分の食べる肉を 自分で確保したい そういう思いが生まれました そして 狩猟を始めました 始めてびっくりしたのは すごく楽になったこと 見知らぬ誰かに殺してもらって 自分はただ パック詰めされた お肉を食べるだけ そういうのが嫌だったんですね そんな後ろめたさから 開放されました また 山には山菜やキノコ 川魚などの豊富な食べ物に加えて 杉や檜の間伐材が 利用されずに転がっていました 私はそれを 薪として利用しました これで我が家の 暖房 ストーブ お風呂 石油やガスに 頼る必要はなくなりました ここには自分自身の生活を 自ら作りあげていっている という 喜びがありました 開放感がありました 全てのことが 自分に責任がある代わりに 間に他人が入らない シンプルで自由な暮らしです そして 私の生活は貨幣経済から 緩やかな脱出を始めました 一部の人々が便利さを 求めるあまり 非効率で無駄が多いのが この現代社会 その隙間を縫うように 私の生活は出来上がっていきました 便利さと引き換えに やりたくもない仕事を させられていませんか? 近くの山に鹿がたくさんいるのに レストランで出る鹿肉は外国産 まだまだ使える 大型ゴミがたくさん出るのは 新しい商品を常に 売らないといけない企業の理屈 エコ? CO2 削減? いつから商品の 宣伝文句になったんでしょうか? 修理するより買ったほうが安い 採算が合わない そういって無駄になっているものが あまりにも多い 私にとっての狩猟採集生活は 今の経済優先の社会が 放棄している 様々な資源 そして 見捨ててきた 技術や価値観 そういったものを取り戻す という意味を持ち始めています 「社会を変えよう」 声高に叫ぶのではなく 自らの生活として 実践していくことが 最終的に 力を持つと信じています 東ティモールの友人が獲った肉と 私が獲った肉に 価値の違いはありません いつか 笑顔で 食べ比べしてみたいな そう思います ありがとうございました (拍手)