多くの人がそうであるように
私もこれまで複数の職種に就きました
内容は多種多様でしたが
最初の仕事が 後のすべての
仕事のいしずえとなりました
私は20代を通し
自宅出産の助産師をしていました
赤ちゃんを取り上げる仕事は貴重で
時に驚くようなことを教えてくれました
午前2時にマイナス10度の極寒の中で
車のエンジンをかけるコツなどです
(笑)
血を前に気絶したお父さんの
息を吹き返す方法など
(笑)
綺麗なおへそにするためには
どのようにへその緒を切ればよいか
しかし助産師を辞めて
別の仕事に就いても
私の中に残り導いてくれたのは
こういった事柄ではありません
私の中に確固として残ったのは
人は唯一無二の価値を持ち
この世に生まれるという信念でした
私は新生児の顔を見つめ
その価値を垣間見たのです
堂々たる自己の知覚
唯一無二の輝きです
その輝きには「魂」という言葉が
ふさわしいと思います
なぜならそれが英語の言葉で唯一
赤ちゃんがもたらす物に
近い表現だからです
新生児は雪の結晶と同様
一人として同じものはありません
一つとして同じものが決してない生命と
祖先と神秘の融合です
やがて赤ちゃんは成長します
家族の中に居場所を作り
文化に順応し
社会や性別に従うために
その小さきものは徐々に魂を
一層また一層と
覆い隠すようになります
私たちはあるがままに生まれてきます
しかし
(笑)
成長につれて起こる
さまざまなことを経て
我々は徐々に
魂に溢れんばかりの個性と
真正直さを隠すようになります
すべての人が経験して来たことです
会場の皆さんもかつては赤ちゃんでした
(笑)
それぞれ違う個性を
生来の権利として持っていました
しかし大人になると非常に長い間
内心で居心地悪さを感じながら過ごします
まるで「ADD」真正直さ欠陥障害を
患っているかのように
赤ちゃんはまだ違います
赤ちゃんはまだ違います
新生児から贈られたメッセージ
それは―
自分の魂を隠さず
全ての人の魂の輝きを
見つけること
それは常に存在するのです
出産中の女性たちから
学んだこともあります
彼女らからのメッセージは
たとえ苦痛の只中であっても心を開くこと
女性の子宮頸部は
普段はこうなっています
それは固く閉まった小さな筋肉で
子宮の一番下にあります
そしていざ出産を迎えると
この幅からー
この幅まで広がります
痛い!
この痛みに抵抗すると
さらに痛みがひどくなります
そして生まれ出ようとする者を
妨げてしまいます
私が決して忘れられない魔法
それはー
女性が苦痛に抵抗することをやめ
心を開いた時に起こります
あたかも宇宙の力が
それに気づいて
助けの波を送りこむかのように
そのメッセージを忘れた事はありません
そして今 人生や仕事において
困難や苦痛に遭遇した時
もちろん最初は抵抗しますが
お母さんたちから
学んだことを思い出します
心を開いて
好奇心を持ち続けること
苦痛が運んで来たものは何かを問うこと
新たなものが誕生しようとしているのです
もう一つ大きな
魂に溢れる教訓があります
アルバート・アインシュタインから学びました
彼は出産とは関係がありませんが
(笑)
それは時間に関する教えでした
晩年の彼が導き出した結論とは
ハムスターの回し輪のような
我々の日常の人生経験は
幻想だということ
我々はくるくるとせせこましく走り
どこかに到達しようとします
しかしその間ずっと
表層の時の下に
全く異なる次元があるのです
過去と現在と未来が融合し
時の深淵を形作ります
到達できる場は存在しません
アインシュタインは
この状態― この次元を
「単なる存在」と呼びました
彼がこの言葉を発したのは
それを経験して
聖なる畏れを感じた時でした
赤ちゃんを取り上げる時に私は
回し車から降りるよう強いられました
時には何日も何時間も
ご両親と共に
ただひたすら呼吸をしていました
「単なる存在」でした
そして大量の「大いなる畏れ」を得ました
次の3つが助産師をしていて
私が学んだことです
一つ 魂を覆い隠さないこと
二つ 困難や苦痛に遭った時には
心を開くこと
三つ 時には回し車から降り
時の深淵に足を踏み入れること
これらの教訓は私の人生を通して
私の助けとなりましたが
つい最近 大いに助けられたことがありました
人生で最も重要な仕事をした際のことです
2年前 私の妹が患っていた
珍しい血液がんが再発しました
唯一残された治療は骨髄移植でした
低い適合率にもかかわらず
適合者が見つかりました
それは私でした
私の家族は4人姉妹です
私が遺伝的に完全な適合者だと
分かった時の姉妹の反応は
「あなたが適合者?本当に?」
(笑)
「彼女にぴったりの適合者ですって?」
姉妹にはよくあることだそうです
姉妹の関係にはいろいろなものがあります
愛情や友情 庇護
そして嫉妬
さらに競争
拒絶と攻撃
私たちが最初に魂を覆う層を
数多く掛け始める所
それが姉妹という人間関係です
私は自分が妹の適合者だと判明すると
研究モードに入りました
調べてわかったことは―
骨髄移植の前提はたいへん
シンプルだということです
大量の化学療法で
がん患者の骨髄を破壊した後に
ドナーから数百万もの
健康な細胞を移植するのです
そして新しい細胞がー
患者に定着するよう
あらゆる手を尽くします
さらに私は骨髄移植が
危険を伴うことを知りました
致死量に近い化学療法を受け
うまく成功したとしても
妹にはさらなる危険が待ち構えています
私の細胞が
妹の身体を攻撃する可能性があるのです
妹の身体が私の細胞を拒絶する可能性も
これは拒絶反応
もしくは攻撃と呼ばれます
双方とも妹に死をもたらします
拒絶と攻撃
どちらの言葉も
姉妹関係には馴染みあるものです
妹と私には長い愛情の歴史がありますが
同様に長い拒絶と攻撃の歴史も存在します
それは小さな誤解から
大きな裏切りにまで至ります
私たちになかったのは
深い話をする関係でした
しかし姉妹関係や その他
どの人間関係でもありがちなのは
率直な話をすることをためらうこと
傷を露わにし
過ちを認めることを
しかし拒絶反応や攻撃の
危険について学んだ時の私は
これを変える時だと思いました
骨髄移植を医師に任せきりに
してしまわずに
私と妹が後に「魂の骨髄移植」と
呼ぶものを行えばどうなるか?と
お互いが原因で苦痛に直面した時に
拒絶や攻撃をしなかったら
相手の話を聞き
相手を許し
相手と融合できるのでしょうか
そうすれば自分たちの細胞にも
同じ事をさせられるでしょうか?
懐疑的な妹を説得するために
両親の聖典を持ち出しました
ニューヨーカー・マガジンです
(笑)
私は妹に連載マンガの切り抜きを送り
私の骨髄を採取し
妹の身体に移植する前に
セラピーを受けるべきだと説得しました
こちらです
「私の頭の中で
彼が私にしたことを許さないわ」
(笑)
私は妹に
私たちは同様のことを
しているはずだと伝えました
頭の中で作り上げた話に固執し
お互いを退けているのです
私は彼女に伝えました
移植後に彼女の血管に流れるのは
私の血
私の骨髄細胞から作られた血だと
細胞一つ一つの核の中には
私のDNAが一揃い入っているのだと
「あなたが生きている限り
私はあなたの体内を泳ぎ続けるのよ」と
少々怯えぎみの妹に伝えました
(笑)
「お互いに対する関係をきれいにしましょう」
健康が危機に晒されると
人はさまざまな危険を冒します
仕事を辞めたり
飛行機から飛び降りたり
私の妹の場合は
いくつかのセラピーセッションを
受けることを了承したことでした
私たちが骨の髄まで
落ち込んでいた時のことです
何年にも渡った
相手に対する憶測
決めつけ
非難や羞恥を見直し開放すると
そこに残されたのは愛情でした
骨髄採取を受けたことを
勇敢だと褒められましたが
そうではありません
私が勇敢だったと感じるのは
これとは別の採取と移植でした
魂の真髄の移植です
他者に対して感情を裸にし
プライドや自己防衛を手放したことです
幾重もの表層を取り除き
傷つきやすい魂を
お互いにさらし共有したことです
ここで助産師時代に
学んだことを思い出しました
魂を覆い隠さず
脅威と苦痛に心を開きなさい
聖なる畏れを求めなさい
これは採取した骨髄と私です
「収穫物」と呼ばれています
何だか牧歌的な産直イベントのようですね
(笑)
決してそのようなものではありません
私のとても勇敢な妹です
私の骨髄を受け取ってくれました
移植後 私たちはより多くの時間を
共に過ごすようになりました
まるで幼い少女に戻ったかのように
過去と現在は融合しました
私たちは時の深淵に足を踏み入れたのです
私は仕事と日常の回し車を降りて
病と癒しの孤島にいた妹に
病と癒しの孤島にいた妹に
寄り添いました
私たちは共に何か月も
病院や妹の自宅に設えた
隔離ユニットで過ごしました
病院や妹の自宅に設えた
隔離ユニットで過ごしました
足早な世間は
このような努力を支援せず
評価すらしません
実生活や重要な仕事への
混乱を招くと見なし
過度に感情的であることや
出費がかさむことを心配します
確かに出費はたいへんでした
ところが私は支払いを受けたのです
それは私たちの文化が忘れてしまった
通貨をもってなされました
私は愛情で支払いを受けたのです
魂で支払いを受けたのです
妹をもって支払いを受けたのです
妹いわく移植後の一年が
人生で一番幸せな時だったそうです
私はびっくりしました
彼女はたいへん苦しんだからです
しかし彼女はその時期 人生は
一番甘美だったと語りました
私たちが魂を露わにし
真実を語り合ったからだと
妹はより堂々と自信を持ち
人と接するようになりました
彼女は言うべきだと感じたことは
きちんと話すようになりました
これまでずっとやりたかったことも
やるようになりました
そしてそれは私も同じでした
日常で関わる人に対し
率直であることを恐れなくなりました
あるがままの自分を語りました
何よりもまして貴重だったのは
あるがままの他者も見い出せたことです
この物語の最終章に至るまで
私は助産師の経験がいかに私を
高めてくれたかに気づいていませんでした
妹が人生でもっとも豊かな一年を
過ごした後に
がんが再び襲来しました
この時には医師たちにできることは
もうありませんでした
妹の余命は2か月でした
妹が息を引き取る前の晩
私は彼女の枕元にいました
妹は小さく痩せており
首元が脈打っているのが見えました
それは私の血 彼女の血
私たちの血でもありました
妹が死んだ時
私の一部も死にました
私が意味を持たせたいと願ったのは
お互いと一つになることで
私たちがより私たちらしく
なれたことです
私たちのあるがままの魂です
過去の苦痛に面と向かって
心を開くことにより
ようやくお互いの心に到達しえたのです
時を踏み越え
私たちは永遠に繋がりました
妹が残してくれたものは数えきれません
締めくくりに 皆さんに
そのうちの一つをお届けします
皆さんは生きるか死ぬかの状況を
待つ必要はありません
大切な人間関係を
浄化することはできます
魂の真髄を相手に渡し
相手の中にそれを見出すのです
誰にでもできることです
新種の救急救命士のように
勇敢に最初の一歩を踏み出すのです
誰かに対して
拒絶し攻撃するのではなく
行動を起こし努力する事はできます
姉妹に対しても
配偶者に対しても
友人や同僚に対しても可能です
身の周りのすべての断絶や
不協和音に対しても同様です
世界中の魂に対しても
同じことが言えるのです
ありがとうございました
(拍手)