0:00:08.402,0:00:10.652 1750年代前半に 0:00:10.652,0:00:13.972 22歳のベンジャミン・バネカーは 0:00:13.972,0:00:17.821 熱心に 木を削って[br]歯車とはめ歯を作っていました 0:00:17.821,0:00:20.052 彼は部品を組み合わせて 0:00:20.052,0:00:22.692 複雑な内部構造を作り出し[br]時計が時報を打つようにしました 0:00:22.692,0:00:26.079 うまく動けば毎時チャイムが[br]鳴るはずでした 0:00:26.079,0:00:29.803 彼が手掛かりにしたのは[br]見本の懐中時計1台と 0:00:29.803,0:00:32.107 手計算だけでした 0:00:32.107,0:00:34.829 でも彼の注意深く巧みな作業が[br]実を結びました 0:00:34.829,0:00:38.790 時報を打つ時計は[br]何百年も前から存在していましたが 0:00:38.790,0:00:42.898 バネカーの時計はアメリカで作られた[br]初めての時計だったかもしれません 0:00:42.898,0:00:46.603 そしてその時計に惹きつけられて[br]国中から人が見に訪れました 0:00:46.603,0:00:48.106 バネカーの才能を示すかのように 0:00:48.106,0:00:53.172 その時計は彼の生涯ずっと[br]チャイムを鳴らしました 0:00:53.172,0:00:57.223 1731年に メリーランド州ボルティモアの[br]農園に 解放奴隷の子どもとして生まれ 0:00:57.223,0:00:58.633 幼い頃から 0:00:58.633,0:01:01.822 若きバネカーは [br]数学と科学に夢中でした 0:01:01.822,0:01:06.492 彼の知識欲は飽くことを知らず[br]独学で 天文学 0:01:06.492,0:01:07.852 数学 0:01:07.852,0:01:08.932 工学 0:01:08.932,0:01:11.623 自然科学を習得しました 0:01:11.623,0:01:14.614 大人になった彼は[br]天文学を用いて正確に 0:01:14.614,0:01:16.804 月と太陽に関する[br]天文現象を予測しました 0:01:16.804,0:01:19.754 例えば 1789年の日食などです 0:01:19.754,0:01:24.344 そして更には 自分の数学のスキルを応用して[br]土地利用計画を立てたりもしました 0:01:24.344,0:01:28.594 彼のこうした才能は ボルティモアの実業家 [br]アンドリュー・エリコットの目にとまりました 0:01:28.594,0:01:32.634 当時 アメリカ合衆国の[br]陸軍測量主管でもありました 0:01:32.634,0:01:35.824 1791年に バネカーのスキルを認め 0:01:35.824,0:01:39.934 エリコットは バネカーを名声のある[br]新プロジェクトのアシスタントに任命 0:01:39.934,0:01:43.244 国会議事堂の設計をすることになりました 0:01:43.244,0:01:47.105 一方 バネカーはその聡明な精神を[br]農業に向けました 0:01:47.105,0:01:51.467 科学的な専門知識を駆使して[br]新たな農法を開拓し 0:01:51.467,0:01:54.126 自分の家族のタバコ農場に導入しました 0:01:54.126,0:01:56.105 彼は自然界に強くひかれていたので 0:01:56.105,0:02:00.946 イナゴによる被害の周期についても[br]研究しました 0:02:00.946,0:02:05.315 そして 1792年から[br]バネカーは暦の発行を始めました 0:02:05.315,0:02:09.986 バネカーの暦に盛り込まれていた情報は[br]1年分の月と太陽の周期 0:02:09.986,0:02:11.295 天気予報 0:02:11.295,0:02:14.596 種まきや潮の満ち引きの[br]タイムテーブルに関するものでした 0:02:14.596,0:02:17.374 バネカーは 第一号の暦を[br]手書きで模写したものを 0:02:17.374,0:02:20.988 バージニア州の国務長官[br]トーマス・ジェファーソンに送りました 0:02:20.988,0:02:24.335 ジェファーソンが大統領になる[br]10年前のことでした 0:02:24.335,0:02:27.206 バネカーはジェファーソンに[br]こんな請願の手紙を添えました 0:02:27.206,0:02:29.948 「連綿と続く 不条理で間違った[br]考えと判断について 0:02:29.948,0:02:33.067 あらゆる機会に根絶を図ってください」 0:02:33.067,0:02:36.166 それは黒人に対する[br]偏見の原因についてのことです 0:02:36.166,0:02:40.306 ジェファーソンは 暦を読んで 返書で[br]バネカーの業績を讃えました 0:02:40.306,0:02:42.856 後の大統領とバネカーとの[br]往復文書は 0:02:42.856,0:02:45.976 現在では アメリカにおける[br]市民権擁護を訴えた手紙文の 0:02:45.976,0:02:49.156 最初の例の1つとされています 0:02:49.156,0:02:51.706 バネカーは残りの人生を[br]この大義のために闘って過ごし 0:02:51.706,0:02:56.137 文筆活動を通じて 奴隷制に反対する[br]自分の意見を広めました 0:02:56.137,0:02:58.639 1806年に75歳で 0:02:58.639,0:03:02.567 亡くなるまで バネカーは[br]生涯 研究と社会運動を続けました 0:03:02.567,0:03:05.818 バネカーの葬儀の日 不思議なことに[br]バネカーの家が焼け落ち 0:03:05.818,0:03:07.838 バネカーが生涯をかけて残した多くの労作は 0:03:07.838,0:03:11.327 時報を告げる時計もろともに[br]失われました 0:03:11.327,0:03:13.848 でも 彼の偉業は今なお生きています