(音楽) (拍手) (トレバー・コップ)芸能人と踊る 社交ダンス選手権の放映が始まった当初 こんな光景はなかったですよね (笑) 番組の効果で社交ダンスの 一大リバイバルが起きた当時は 僕もジェフもフルタイムで 社交ダンス講師をしていて それはもう 信じられないほどの反響でした 前は「フォックストロット (社交ダンスの一種)」と言うと 「狐(fox)が駆ける(trot)???」 のような反応だった人たちが (笑) うってかわって フェザーステップのコツやら もっと細かいウンチクをたれたり するようになり 度肝を抜かれましたね それまで僕らがいつも熱心に交わしてきた 社交ダンスに関するコアな話— 例えばサルサの踊り方が競技ルンバと 違うのはなぜかとか タンゴでの移動の仕方が ワルツとは違うのはなぜかとか そういったことが 一般人の意識に 一挙になだれ込んで すっかり状況が変わったのです でも テンションが上がる一方で— 突如 なぜか僕らが「イケてる人」に なったわけですからね— (笑) 同時に戸惑いも発生しました なぜ 今 社交ダンスなのか?と (ジェフ・フォックス) トレバーと僕は講習で集まった折や おふざけまでに お互いにクルクル回しあったり 役割を混ぜたり 常にやるはめになるリード役を 休んだりしていました 踊りながらリードとフォローの役割を 交替する仕組みの考案さえしました 公平に順番交替するわけです その後この仕組みを とある小さなフェスティバルでの ショーの一環に取り入れたら 大きなチャンスが舞い込みました ある脚本家事務所で芸術監督をしている リサ・オコネルという劇作家に ショーの後に呼び止められ こう言われたんです 「今のショーの思想性の強さ 分かってるの?」 (笑) ここから8年にわたる 共同制作が始まりました 僕らが考えた役割交替の仕組みを さらに発展させるだけでなく 人が単一の役割の中に 閉じ込められてしまうことや もっと深刻な問題として その役割で定義されてしまう怖さを 掘り下げました (トレバー)というのも 当然 昔ながらのラテンダンスや社交ダンスは ダンスの体系であるのみならず 人の考え方や存り方 そして他者との関わり方など その時代時代の社会観念を そっくり反映しています ただし どの時代でも 常に一貫していたのが 男性がリードし 女性がフォローする という観念です ストリート・サルサでも 競技タンゴでも 何であっても 男がリードし 女がフォローします つまり これはジェンダー教育なのです ダンスを習うだけにとどまらず 男は男として 女は女としての振る舞い方も 習うものだったのです もはや過去の遺物です 遺物というものは ポイっと捨てたりはしないものの 過去のものだと 認識する必要はあります 現在には当てはまりません シェイクスピアのようなもので 敬意を払い 復刻させるのはよし でも 過去のものです 現代人の考え方を代表するものではありません そこで僕らは考えました 「余計なものを全て削ぎ落としたら 社交ダンスの中核にあるのは何だろう?」 (ジェフ)社交ダンスの中核にある原理は 1人がリードし もう1人がフォローすることです 誰がどちらの役で踊るにしても 体の動かし方は同じです 物体の運動という観点ではジェンダーなど 全くどうでもいいことですからね (笑) ただ 既存の型を作り変えるとしたら 今この場 2015年における 人の交流の在り方を代表するものとして よりふさわしい形に変えなければなりません 社交ダンスを観るときは そこに現れているものだけでなく 現れないものも意識してください ペアは常に男1人と 女1人の組み合わせのみ 男女一組で それしかなく これまでずっとそうです 同性同士や 男らしい女・女らしい男が ペアで登場することは全くありません メジャーな国際競技ダンス大会の ほとんどにおいて 同性同士のペアはまず 出場させてもらえませんし 多くの場合 規定で完全に禁止されています (トレバー)「ラテンダンスのプロ」で グーグル画像検索して 本物のラテンアメリカ系の人を 探してみてください (笑) 何日もかかること請け合いです 何ページにもわたって実際に出てくるのは どう見ても白人な男女ペア 日焼けスプレーをかけまくって ガン黒肌なだけ (笑) 黒人やアジア系や 混血のペアはなく 要は 白人以外の人は 全く登場しないのです さらに 白人の男女ペアしかいない中でさえ 女のほうが背が高いのはナシ 男のほうが背が低いのもナシ 女のほうが勇壮なのもナシ 男のほうが物腰柔らかなのもナシ 社交ダンスの世界の外で このルールを会話に落とし込んで 映画に登場させたとしたら 世間は絶対に受け付けないでしょう 「男が命令し女が応じる」 こんな関係 ゲイであれストレートであれ どんなカップルであれ 健全 または良好な関係の2人には 全くありえないですよね それなのになぜか ゴールデンタイムの番組で ゴテゴテにメイクして 派手に着飾った人が 言葉ではなく動きで表現すると それを世間は お茶の間から喜んで観るわけです 実感と かけ離れたものに対し 拍手喝采しているのです あまりにも多くの人々が 社交ダンスの世界には不在なのにです (音楽) (拍手) (ジェフ)今 男2人で踊るのを ご覧になりましたね (笑) それを見て 少し 変な感じがしたでしょう 面白いし 目を惹くとさえ言えますが でも ちょっと異様ですよね 同性同士の社交ダンス競技会の 追っかけに熱心な人でも 同性ペアのダンスはダイナミックで 力強く 盛り上がるけど どうも何かが違う感じがすると言います 見た目の話をすれば アリーダと僕が 典型的なクローズ・ホールドを組むと 美しいものと見なされますが・・・ (笑) なぜこれではダメなのでしょう (笑) 常識とされている リード役のほうが大きくて男らしく フォロー役のほうが 小さく女らしくなければならない― その考え方が障害になるのです (トレバー)僕らはこれを 全く別の角度から考えました もしもリードとフォローという 概念はそのままで ジェンダーと結びつける部分は 捨てていいとしたら? さらに お互いにリードしたり フォローしたりした後に 交替していいとしたら? そして元に戻したなら? これを会話のような形でできたとしたら? 誰もが毎日しているように 順番に話して聴いてといった具合です そんな風に踊っていいとしたら どうでしょうか? 僕らはこのダンス手法を 「流動的リード」と名づけました (ジェフ)これをラテンダンス — サルサで試してみますね サルサでは 位置交替用のステップ クロスボディリードが多用されます 即興で踊るときに メリハリをつけるために 使われています 見慣れていない人だと 気づきにくいかもしれません こんな感じです 安い席のお客さんのために もう一度 (笑) この動きを もう一度 ゆっくり 丁寧にやります 流動的リードという考え方を このステップに当てはめると クロスボディリードの時点で リードとフォローが交替できます フォロー役の人が リード役になろうとしたり リード役の人がその役を 譲ることにしたりと つまり クロスボディリードの 逆をやるわけです スローモーションで見てみましょう 冒頭にお見せしたダンスを 再現してみますね この ちょっとしたひねりを加えることで ダンスは「命令」から 「交渉」になります 誰がリードしてもいい 誰がフォローしてもいい さらに肝心な部分は 気が変わるのもアリだということです 今のは この考え方を 応用したほんの1例ですが 視野が広がってしまえば それから何をしたっていいんです (トレバー)ここで流動的リードの考え方を 昔ながらのワルツに当てはめてみましょう 当然のことながら これはリードを交替する仕組みにとどまらず 実際に ダンス自体の効率を 改善する考え方でもあります さて ワルツとは何か ワルツとは回転するダンスです つまりこういうことです リード役の人は 踊っている時間のうち半分は 完全に進行方向が見えません そしてフォロー役の 位置も位置なので 要は2人とも 行き先が 見えていないのです (笑) 仮に このへんに立っていて あれが自分に向かってくるんだと 想像してみてください (ジェフ)グアアア! (笑) (トレバー)実際に この死角のせいで 事故もたくさん発生しています でも もしもペアが一瞬だけ 体勢を入れ替える余地が あったとしたらどうでしょう? たくさんの事故が回避できます 1人がずっとリードを続けたとしても 今のような組み替えを挟むようにすれば もっと安全に踊れるようになり また同時に ワルツの踊りに 新たな美の形が生まれます 物体の運動的には ジェンダーなんて クソどうでもいいことですからね (笑) (ジェフ)この流動的リードのダンスを クラブや公会堂ステージで リサと共同制作した演目 『ファーストダンス』の一環として 北アメリカやヨーロッパで 披露してきましたが 必ず観客が釘付けになります 男2人が組んで踊るという 異様な光景であること以上に 必ず心を動かし 魅了する力があるダンスなのです なぜでしょうか? その鍵は 僕らの初めてのショーに リサが「思想性」を 見出した原因にあります ただリードとフォローを 切り替えるだけではなく それぞれの存在感や個性や力強さを 一貫して保っており どっちの役を演じていても その点は変わらなかったことです 自分らしさはそのままでした ここに本当の自由があるのです 役割を交替する自由だけではなく どっちの役割を演じていても その役に定義されずに済む自由であり 常に自分に正直であり続けられる自由です リード役やフォロー役が どんな姿であるべきかは忘れましょう 男らしいフォローや 女らしいリードでもいい ただ自分らしくあることです もちろん この原理は ダンスフロアの外でも同じです しかしダンスフロアは 古い世界観を塗り替え 古い遺物に活力を吹き込み 現代や この時代を生きる人の在り方に よりふさわしい表現になるよう作り変えるのに もってこいの場所なのです (トレバー)ジェフと僕はいつも 相手が男でも女でも踊りますし すごく楽しいですよ しかし 僕らが踊るとき意識しているのは 社交ダンスは昔から存在するものであり 現代人が謳歌している 様々な種類のアイデンティティによっては 自分を表現できない人や 無視される人が 出てくるということです 流動的リードを考案したのは 1つの方法として でした 現代の人々にはそぐわない概念を 1つ残らず削ぎ落とし 本来 社交ダンスがいつもそうであった姿を 取り戻すことが目的です つまり お互いを気遣う 繊細な技術としての社交ダンスです (音楽) (拍手)