これからユーモアのつくり方について
お話ししましょう
これは興味深いことですが
それに関わる制約や
なぜユーモアが状況によって笑えたり
笑えないかについてもお話しします
さて 私はニューヨークの人間なので
これは100%面白い
でも 実際ありえないことです
ユーモアというものは
75%も面白いと言えば
最高といったところだからです
100%ユーモアに満足する人などいません
この人以外は
(笑い声)
最初の妻です
(笑)
この辺りは 二人うまくいったのですがね
(笑)
さて このマンガを見てみましょう
ここで 重要なのは
これらのマンガは『ニューヨーカー』のページ上で
読者の目に入るということです
このエレガントな書体に囲まれて
このページ上では
特に問題もないマンガに思えます
老いることを少々からかったもので
大方皆が楽しめるものでしょう
しかし 先ほど言ったように
全員を満足させるのは無理です
この男性はだめでした
「また老人ネタのジョークか
笑えるね
年寄りを馬鹿にして楽しいだろう
でも 君だっていつか歳をとるんだ
途中で死ななければいいけどね
(笑)
『ニューヨーカー』では気をつけないと
簡単に読者の気分を損ねることになります
お分かりいただけると思いますが
これは特殊な環境なんです
今 ここでは皆さんは私の話を聞いて
集団ですから 周りの笑い声から
皆笑っているのが分かります
『ニューヨーカー』の場合
雑誌は様々な読者の手に渡り
ひとりで読んでいても
他の誰が何を見て
笑っているかわかりません
それを考えると
ユーモア解釈に関わる読者の主観が
実に興味深いものになります
こちらのマンガを見てみましょう
「抗ウツ剤についての悲しいデータ」
(笑)
本当にこれは悲しいことです
さて この会場では これを見て
ほとんど全員が笑っていますね
皆 面白いと感じたわけです
一般的には これは笑えるマンガです
でも オンライン調査の
結果を見てみましょう
面白いと答えたのは
全体の約85%
109人が最高評価の10を
10人が1をつけました
ただ個々の反応を見てください
「動物大好き!!!!!」
この動物への愛情を見てください
(笑)
「動物を虐待したくない
これは面白いとは思えない」
この人は2をつけました
「動物が苦しむのは見たくない―
たとえマンガであっても」
このような人には 麻酔インクで印刷
していると伝えます
他の人々はこれを面白いと思いました
これがユーモアの分布の本質で
ユーモアがうまく拡散しないときには
こうなります
ユーモアは一種の娯楽です
あらゆる娯楽には
ちょっとしたスリルが伴います
何か良くないことが起こるかもしれない
それでも安全策があれば楽しめます
動物園も同じです 危険です
トラがすぐそこにいるのです
檻があるから 安心して楽しめますね?
こんな動物園はつまらない
(笑)
動物愛好家には良い動物園ですが
行ってもおもしろくありません
でも これはもっとひどい
(笑)
『ニューヨーカー』の環境で
ユーモアを扱う時
トラをどこに置くか
考える必要があります
危険をどこに仕組み
どうやってコントロールするか?
私の仕事は毎週
1000枚のマンガを審査することです
『ニューヨーカー』に載せられるのは
16枚か17枚
でも 全部で1000もあるのです
もちろん沢山のマンガを
ボツにしなくてはなりません
雑誌から記事を減らしたら
もっとマンガを載せられるのですが
(笑)
しかし それは大きな損失になるでしょう
耐えられはしますが 大きな損失です
毎週 新しい漫画家が作品を送ってきます
本誌に投稿を続ける漫画家は
週に10から15のアイデアを送ってきますが
そのほとんどがボツになります
それが創造活動というものです
多くの人が去り 一部が残ります
マット・ディフィーはその一人です
これは彼の作品です
(笑)
ドリュー・ダーナビッチ
「会計士の即興コメディー」
「さあ ここで聴衆のみなさんには
適当な数字を叫んでもらいましょう」
ポール・ノス「彼は良さそうだ
もう少しイスラエル寄りなら良いのだが」
(笑)
ボツになる苦しみはよくわかります
心理学の勉強をあきらめ―
正確には学校から追い出されて
マンガ家になろうと決めたとき
自然な流れでしたが
1974から1977年の間に
2000枚のマンガを『ニューヨーカー』に送り
全部ボツにされました
こんなボツの通知を 何枚も受け取りましたが―
(残念ながら 採用となりませんでした
投稿ありがとうございました)
(残念ながら 採用となりませんでした
投稿ありがとうございました)
1977年に突然こんなのを受け取ったのです
(おぃ!採用だぜ まじで あんたのマンガが
あの『ニューヨーカー』に載るんだぜ)
(笑)
もちろん実際は違いますが
気持ちとしてはこのような感じです
もちろん 『ニューヨーカー』のユーモアとも違います
『ニューヨーカー』のユーモアとは?
1977年にマンガが『ニューヨーカー』に
掲載されるようになり
1980年には おそれおおくも
『ニューヨーカー』と契約を結びました
中身はぼかしてあります
皆さんには関係ありませんからね
1980年にもらった契約書です
「マンコフ様
この度は―なんとかかんとか―
アイデアスケッチについて
契約を結びます」
この「アイデアスケッチ」ですが
契約のどこにも
「マンガ」という言葉は見当たりません
実は「アイデアスケッチ」なしに
『ニューヨーカー』のマンガはありえません
では アイデアスケッチとは何でしょうか?
それは見る人に考えさせるものです
これはマンガとは違います
マンガ家の思考に
あなたの考えが合わさって
初めてマンガになるのです
(笑)
これを見れば私のいうマンガが
どういうものかわかるでしょう
「世界は不公平だ
この世界は正しいとも言える
この世界はすばらしい」
これは「レミングの考え」です (笑)
これは「レミングの考え」です (笑)
『ニューヨーカー』と私はコメントをつけました
マンガはその意味に曖昧さを残しているものです
このマンガの意味は?
レミングについてのものか?
いいえ 私たちについてです
例えば 宗教についての私の基本的な考えは
宗教間の紛争や論争は全て
誰の空想上の友達が一番か
という争いだと思うのです
(笑)
これが私の最も有名なマンガです
「いいえ 木曜日はだめです
どうでしょう―いっそ会わないというのは?」
何千回もコピーされました 勝手にね
女性の下着にまで
「どうでしょう―いっそ会わないというのは?」
この部分だけでしたが
これらは全く違う形のユーモアに見えますが
実は非常に似通っています
どちらも私たちの期待を裏切ります
どちらもストーリーが予期せぬ展開をします
不一致と対比があるのです
「木曜日はだめです どうでしょう―
いっそ会わないというのは?」の中では
慇懃さと無礼さが同じ文の中に
同居しています
これがユーモアのしくみです
相容れない2つのものを
まぜあわせるという認識の相乗効果で
一時的に読者の頭の中に存在させるのです
彼は慇懃であり無礼なのです
ここには『ニューヨーカー』の誠実さと
言葉の失礼さがあります
これがユーモアのしくみです
私はユーモアアナリストだといえますね
E.B.ホワイトは ユーモアの分析は
カエルの解剖のようなものだと言いました
あまり意味のない事をやって
カエルを殺すだけです
私も何匹かは殺しますが
大量虐殺はしません
でも結果として ―
この絵を見てください
笑う観客
大勢の人と しゃれた男が上にいますね
全員が笑っています 全員
たった一人を除いて
この男です 誰なのか? 批判者です
ユーモアを批判する人です
私はこの立場にいなければならないのです
『ニューヨーカー』にいると危ないのがこれです
この男のようになってしまうのです
マット・ディフィー作の短編ビデオがあります
大げさにするとこんな感じになります
ボブ・マンコフ「あーだめだ」
うえぇ
おぉ うーん 面白すぎる
普段ならいいけど 今イライラしているんだ
ひとりで楽しむとするか たぶんね
だめ これも だめ
やりすぎ 出来が悪すぎ
絵はいいが面白さが足りない
だめ だめ
ありえない 全くだめだ
(音楽)
だめ だめ だめ だめ だめ [4時間後]
おや これはいいぞ 何持ってきたんだ?
同僚「ライ麦パンのハムチーズサンド?」
ボブ・マンコフ「いいや」
同僚「そうか パストラミサンド?」
ボブ「いいや」
同僚「スモークターキーとベーコンサンド?」
ボブ「いいや」
同僚「ファラフェル?」
ボブ「ちょっと見せてくれ」
あぁ いや
同僚「グリルチーズサンド?」
ボブ「いいや」
同僚「BLTか?」
ボブ「ちがう」
同僚「ハムとモッツァレラとアップルマスタードサンド?」
ボブ「いいや」
同僚「インゲンサラダ?」
ボブ「いいや」
(音楽)
だめ だめ
全くだめ [ランチから数時間後]
(サイレン)
だめだ さっさと行ってくれ
(笑)
私の仕事を誇張したものですが
確かにたくさんのマンガをボツにします
数が多すぎて
「ボツコレクション」なる本が多く出るほどです
「ボツコレクション」は 『ニューヨーカー』には
少々そぐわないタイプのユーモアです
歩道のホームレスにお気づきでしょうか
飲んだくれて 腹話術の人形が吐いています
これは『ニューヨーカー』の
ユーモアにはならないでしょうね
実はこれは 本誌の漫画家
マット・ディフィーの編集したものです
ボツコレクションのユーモアをいくつかご紹介しましょう
「子どもが欲しいんだ」
(笑)
興味深い―ためらいのある笑いですね
良識に反した笑いです
(笑)
「何もシリません お助けを」
(笑)
この本が意図する
「『ニューヨーカー』では
絶対お目にかかれないマンガ」
という意味ではこのユーモアは完璧です
ご説明しましょう
ユーモアのコンセプトには
無害な違反という考えがあります
つまり 何かが面白くあるためには
間違ってはいるが 許されることが必要です
完全に間違っている場合には
「それはだめだ」と私たちは言うでしょう
完全に許されるものには
何がおかしいのか?ということになりますね
「木曜日はだめです どうでしょう」は無害です
でも「いっそ会わないというのは?」は失礼です
ありえない組み合わせなのですが
この場面においては
これで良いと感じるわけです
このコレクションの中では
「何もシリません お助けを」
これは許される違反です
でも これをニューヨーカーに載せるとなると...
「T細胞の軍隊:体の免疫反応はガン治癒に有用か?」
おやまあ
こんな難い記事を
免疫システムの知性あふれる分析を読んでいて
ふと目をやると なんと
「何もシリません お助けを」ですって?
この違反は許されません
うまくいきませんね
どんな場面でも面白いなどというものはありません
全ては状況に左右され
私たちの想定内のものなのです
ひとつの見方はこうです
これは私たちの見方による
動機付けのようなもので
モチベーションと気分の問題です
自分の気分によって
好き嫌いが左右される
というものです
遊び心があるときは刺激を求めます
ドキドキさせられることに
楽しみを感じます
同じものでも真面目なムードでは
不安を招きます
「ボツコレクション」は間違いなく
この部類のマンガです
刺激を受けたい時があります
違反してはみだしたいのです
こんな感じ 遊園地のようなものです
声:いくぞ(歓声)
彼は笑っています 危険であり安全な場所にいて
強い刺激をうけているのです
ジョークはいりません 必要ないのです
人は刺激され 興奮状態になると
何にでも笑い出します
これは「ボツコレクション」の別のマンガです
「きつすぎる?」
これはテロについてのマンガです
『ニューヨーカー』の雰囲気は独特です
独自の遊び心もあれば 真面目でもある
その様な場に載せるマンガは
独特なものになります
『ニューヨーカー』が9/11直後に出した
マンガをお見せしましょう
ユーモアにするには非常にデリケートな領域です
『ニューヨーカー』はどうしたのか?
爆弾をもった男が「きつすぎる?」と
いうわけにはいきません
お見せしなかった別のマンガもあります
気を悪くする人がいるかと思ったので
すばらしいサム・グロスのマンガで
ムハンマドの議論のあとに出されました
ムハンマドは天国にいて
自爆者がこまぎれになっており
ムハンマドが自爆者に言うのです
「きみのペニスを見つけたら乙女が待ってるよ」
(笑)
絵にしないほうがいいでしょう
テロの起きた週はマンガの掲載は
休みました
ユーモアの出る幕ではなく
実にそうでした
いつもユーモアが良いわけではありません
しかし翌週には最初のマンガを載せました
「二度と笑えるとは思わなかった
あなたの服を見るまでは」
これはつまり 生きていれば
笑うこともあるし 息もする
存在していくということです
これは別のマンガです
「3杯目のマティーニを飲まなきゃ
テロリストの勝ちだと気づいたんだ」
これらはテロ犯についてではなく
私たちについての話です
ユーモアが私たちの姿を反映しているのです
もっとも簡単なユーモアは
正当なものではありますが
味方が敵をからかうものです
傾向性のユーモアといわれます
ユーモアの95%はこれです
私たちのものとは違います
もう1つお見せしましょう
「イスラム原理主義者の国に住みたいものだね」
(笑)
ユーモアにはターゲットが必要です
興味深いことに
『ニューヨーカー』のターゲットは私たちです
ターゲットとは読者であり ユーモアの作り手です
ユーモアは自己の反映で
自分の思いこみについて考えさせてくれます
ロズ・チェイストのマンガをご覧ください
男性が死亡記事を読んでいます
「2歳年下 12歳年上
3年後輩 ぴったり同い年
まさしく同い年」
これは非常に深いマンガです
『ニューヨーカー』はある意味で
マンガに面白さだけでなく
私たち自身について
語らせているのです
もうひとつ お見せしましょう
「健康のためにベジタリアンなったの
それから道徳的な選択としてね
今はただ人をいらつかせたいからよ」
(笑)
「すみません ―
これちょっとおかしいと思うんです
わたし以外 絶対指摘できないような
細かいことなんですけど」
これは他の誰でもなく
私たちのこだわり ナルシシズム
欠点やうぬぼれをあらわしています
『ニューヨーカー』は読者に
なんらかの知的作業を求めているのです
ユーモア 芸術 科学の関係について
アーサー・ケストラーが「創造活動の理論」に
書いたような
二元結合と呼ぶものを求めているのです
二元結合と呼ぶものを求めているのです
違う枠組みからアイデアを組み合わせて
しかも素早くしないとマンガは理解できません
違う枠組み同士を0.5秒以内に
組みあわせられなければ
面白さはないのです
これはわかりやすいものです
違う枠組みです
「彼女と寝たんでしょ」
(笑)
「ラッシー!誰か呼んで!!」
(笑)
これは「フレンチアーミーナイフ」
(笑)
これはアインシュタインの寝室です
「あなたにとっては一瞬だったのね」
(笑)
ちょっと難しいマンガもあります
これは解りにくいでしょう
このマンガの意味を
どれくらいの人がわかるでしょうか
犬が散歩に行きたいという
サインを出しています
キャッチャーは
バッターを「歩かせろ」というサインをしています
毎年マンガ特集をするのはこのためです
「意味不明 : ニューヨーカーのマンガ IQテスト」
(笑)
もうひとつ『ニューヨーカー』が好きなのが
場違いさです
お見せしたとおり
ユーモアの基本になるものです
あまりにも当然で論理的なものは
おもしろくありません
場違いが機能するのは 観察に基づく
現実の範囲内のユーモアです
「上司がいつも あれこれ指示するんだ」
これはありえることです
現実の範囲内のユーモアです
ここでは カウボーイが牛に言っています
「すばらしい あなたの様な方を
あと5000頭くらい欲しいですね」
これは理解できます むちゃくちゃですが
ふたつをつなぎあわせることができます
これはもうナンセンスです
「ホプキンズ君 困るな
連絡事項はきちんと読んでくれないと」
これはちょっと難しいですね
うまくつながりません
一般的にナンセンスを楽しむ人は
より抽象的な芸術が好きです
保守的よりもリベラルなタイプです
しかし私たち 私にとって
ユーモアをつくる手助けをするとき
それぞれを比較しても意味はありません
いろいろあるから面白いんです
このマンガのキャプションで
今日の話をまとめたいと思います
『ニューヨーカー』のマンガについて
うまくまとめていると思います
「立ち止まって 考えさせられるよな」
(笑)
ニューヨーカーのマンガを見るときには
立ち止まって
すこし考えてみて頂きたいのです
ありがとう
(拍手)
ありがとう(拍手)